◆クイーンとアダム・ランバート | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
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1973年にイギリスでメジャーデビューし、2023年で記念すべき50周年を迎えたクイーン。
2023年暮れの紅白歌合戦では、ドント・ストップ・ミー・ナウを特別企画で披露して、評判になりました。
ランバートさんの伸びやかなハイトーンボイスにオールドファンを中心に熱狂的な投稿が相次ぎました。

このバンドとボーカルはどう結びついたのでしょうか。

クイーンの元のボーカルは、フレディ・マーキュリーさん。
フレディ・マーキュリーさんは1991年に45歳の若さで亡くなりました。
エイズ感染による合併症「ニューモシスチス肺炎」が死因だったと報じられています。
フレディーの遺言には、「ボヘミアンラプソディー」の印税を、エイズ基金へ寄付することが記されていたと言います。

フレディさんが亡くなったことで、クイーンは解散すると報じられました。

ドラムのロジャー・テイラーさんは、インタビューで「フレディの死で、僕らはすべてが終わったと思っていた。俺たちは全てのことに揺さぶられていました。そしてもう二度とプレイするつもりはなかった」
ギターのブライアン・メイさん「私たちは自分たちがやってきたことを誇りに思っていたけど、フレディなしで再びクイーンとして活動することはしたくなかった」

「ボヘミアンラプソディー」は、1992年のコメディ映画『ウェインズ・ワールド』内で印象的に使われ、再発され全米シングルチャートで2位を記録し、クイーンが新しい世代に紹介されることになりました。

カリフォルニア州サンディエゴの少年だったアダム・ランバートさんは、父親と弟と一緒に映画を観てこの曲に影響を受け、すっかりクイーンに惚れ込んでしまいました。
「それ以来、私はもっと知りたいと思ったんです。そこからバンドへの恋心が始まりました」

クイーンのもう一人のメンバー・ジョン・ディーコンさんは2004年にクイーンが英国音楽殿堂入りを果たした際に、バンド復帰の申し出を断ったようです。

2009年、オーディション番組『アメリカン・アイドル』のファイナリストとしてアダム・ランバートさんがアメリカン・アイドルに出場した時に、フィナーレでクイーンとアダム・ランバートさんが共演しました。
惜しくも準優勝となりましたが反響を呼びました。

アダム・ランバートさんは、2014年から2018年にかけてリード・シンガーとしてクイーンのワールド・ツアーに参加し、正式なメンバーとなりました。

2024年の来日公演は行きたいものです。



前回の「ボヘミアン・ラプソディー」の記事はこちら(2018年11月17日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12419131651.html

では、明日。