義経は、張り切って近江国に入った。
義経が入ったことは義仲に伝わり、義仲は後白河法皇を拘束した。
義時は八重とのことを時政に報告。
時政「めでたい」
反頼朝の御家人が会議を重ねていた。
岡崎が「いっそ頼朝の首をはねちまおう」と言ったが、広常が「主を殺したものは、いい主にはなれねえ」
万寿を連れ出して、頼朝に御所を出て行ってもらうことを決めた。
文覚が、生後500日に足固めの儀式をでっち上げた。
梶原が頼朝のスパイだとバレて拘束された。
さらに千葉たちは木曽義高を担ぐため、神輿に乗るように提案したが、義高は「しばらく時が欲しい」と即答を避けた。
三浦義澄たちは表向きには、鹿狩りに出かけることにした。
比企も様子を見に行ったが、上総から逃してもらった。
土肥は病気だと言って鹿狩りは欠席した。
義時は土肥から謀反があることの証言を得た。
義時「話し合いことが肝要かと。上総介殿は我らを通じております」
頼朝「必ず御家人たちを説き伏せよ。兵を引けばなかったことにして良い」
全成も襲われたが、地下に逃げた。
足固めの儀式が始まった時に、和田たちがやって来た。
義時「刀を納められよ。力を合わせて平家を倒そうではありませんか。同士討ちしている時ではございません」
畠山「これに騙されるな。われらは木曽殿と戦う気はない」
義時「木曽殿は法皇を拉致した。まずは木曽殿を」
和田は納得し刀を納めた。
義時は畠山に「助かった」
畠山は「和田殿は必ず逆のことを言われる」あえて、思いと逆のことを言ったのだった。
こうして、反頼朝の乱はおさまった。
千葉は責任を取って自害すると言ったが、三浦義村が刀を奪って、させなかった。
義時「大事にならずにすみました」
頼朝が、広常と酒を酌み交わした。
広常「お前は自分勝手な男だ。たが、それがお前だ。それでいいんだよ。御家人なんか単なる捨て駒。お前さんは己の道を行けばいい。御家人どもが騒ぎ出したら、また、俺がなんとかするよ」
頼朝「そなたのおかげで今のわしがいる。これからも頼むぞ」
義時は、今回の企てに加わった御家人たちに寛大な裁きを願った。
「ここは小四郎の言う通りにしよう」と頼朝もいったんは納得したが、大江「このままでは示しがつきません。みせしめとして、誰か一人罪を負わせるというのはいかがでしょう」
頼朝「誰にする?」
大江「上総介」
義時は驚いて「本気で申されておるのですか。もしや、初めからこうなることを考えておいたのですね?」
大江「最も頼りになるものは、最も恐ろしい」
あえて謀反に加担させ、責めを負わせるという大江の筋書き通りだった。
義時「承服できませぬ」
頼朝「では誰なら許す?昨夜別れは告げてきた」
大江「効き目は大きい方が」
義時「なりませぬ。なりませぬ」
頼朝「上総介は自分で言った。御家人なんか単なる捨て駒。やつも本望であろう」
義村「俺は前からわかっていたぜ」
義時「今から上総介のところへ行って・・・」
義村「馬鹿なことはやめておけ。気づいてないようだが、お前は少しずつ頼朝に似てきたな。これは褒め言葉だ」
12月23日、御家人が集められた。
梶原が、頼朝から実行犯として指名された。
梶原が上総介と双六を始めた。
梶原が斬りつけた。
「大悪人なり」
応戦しようとしたが、善児がこっそり小刀を抜いていた。
広常「小四郎、小四郎」「武衛、武衛」
義時が助けようとしたが、見ていた頼朝が「小四郎、来ればお前も斬る」
梶原がとどめを刺した。
頼朝「謀反人を成敗した。土地は己の力で我がものにせよ。今こそ天下草創の時。我に逆らうものは誰も許さん。肝に銘じよ」
一同「はっ」
上総介の鎧の中から文が出てきた。
読み書きの稽古を始めていた。
頼朝「読めん」
義時が代わりに読んだ「鎌倉殿の大願成就と東国の太平のため」
頼朝「あれは謀反人じや」と呟いた。
義時に長男が誕生した。
後の北条泰時である。
前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2022年4月23日)
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では、明日。