◆池上彰・松井秀喜イン・キューバ | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

Samponistaさんによる写真ACからの写真


知の巨人・池上彰さんと、MLB ワールドシリーズでヤンキースの世界一に貢献した松井秀喜さん。
2人が口を揃えて行きたいと言ったのは、カリブ海に浮かぶ社会主義国家キューバ。

キューバは今、大きな転換期を迎えている。
2014年、キューバはアメリカとの国交を回復し、歴史的雪解けと言われた。
当時のオバマ大統領が半世紀ぶりに国交回復したが、2017年6月にトランプ大統領がキューバとの取引を完全に無効にし、再び門を閉じた。
トランプ政権は、オバマ政権がやったことを全部ひっくり返そうとするから、キューバとの関係もまた悪くなった。

日本からは約16時間、直行便も無い。
カリブ海の真珠と呼ばれるキューバは、国民のほとんどは国家公務員。

松井氏が通る車を見て、タイムスリップしたかの印象を持ったと言う。
1950年代のアメリカ車が今も現役で走っている。
1950年代はアメリカとの国交があり、保養所として人気だったため、アメリカからたくさんの車が運ばれた。
クラシックカーは今やキューバの観光資源。

pinotgrigioさんによる写真ACからの写真


15世紀から約400年間はスペインの植民地。
ハバナは1982年に世界遺産に登録された。
社会主義のいい所と悪い所とが両方あるのがキューバ。
街の中心地を歩いても、ヨーロッパのブランドショップなどはまず見られない。
観光客は2019年に500万人を突破した。
ヨーロッパからの観光客ばかりだった。
町のいたるところで、ラテン音楽が生演奏されている。
アメリカからキューバへ、観光目的の入国は禁止されている。
キューバ人の支援という目的ならば訪れることができるため、アメリカ人も結構いる。

1950年代まで、「アメリカの裏庭」と呼ばれるくらいまで両国は緊密な関係だった。
しかし、キューバ政府はアメリカ資本にべったりで腐敗し切っていた。
「打倒親米政権」を掲げたのが、フィデル・カストロとアルゼンチン人のチェ・ゲバラ。
彼らは親米政権を倒し、社会主義国家を宣言した。
これが、キューバ革命。
これに怒ったアメリカ・アイゼンハワー大統領は1961年にキューバとの国交を断絶し、厳しい経済制裁を科した。
以来、半世紀以上に渡って、キューバとアメリカは反目しあって来た。

ハバナの中心地に、キューバのアメリカ時代を象徴した建物がある。
カピトリオ:スペイン語で議会の意味。
アメリカ・ワシントンD.C.の連邦議会の議事堂を模して造られた。
キューバ革命以降は、議事堂ととしては使われてなく、現在は博物館になっている。

pinotgrigioさんによる写真ACからの写真


キューバはアメリカとの関係に左右されながらも、少しずつ変わっている。
キューバが(フィデル)カストロの後に自由化を始めた。
商店街の中に民泊のマークが見かけられ、バックパッカーなどが安く泊まれる。
値段は1泊40ペソ(約4300円)で、ホテルより安く、キューバ人のリアルな生活を垣間見れる。
民泊は貴重な外貨収入源。

国営レストランは広いけどもガラガラ。
国家公務員だから、忙しくてもヒマでも給料は同じ。
キューバ革命は、医療費や教育費が無料で大成功。
失敗したことは3つ、朝食・昼食・夕食である、と揶揄されている。
池上彰さんがキューバを訪れた10数年前は、料理がとてもマズかった。
ところがカストロが引退して弟のラウルになって、いろいろ自由化になり、個人経営のレストランを認めるようになった。
劇的に美味しくなった。
キューバは携帯ブームで、店舗の周りに人だかり。
WIFIの電波を求めていた。
携帯電話の修理屋まである。
公務員の数倍は儲かっているようだ。

野球はキューバの国技。
バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックと2大会連続で金メダルを獲得。
当時はアマチュア最強と呼ばれた。
オバマ大統領の前は、アメリカのメジャーでプレーしたかったら、亡命するしかなかった。
オバマ大統領になって関係が改善して、亡命しなくても活躍できるようになった。
トランプ大統領になってから、またそういう風になった。
まさに、政治に翻弄されてしまっている。

松井さんは、キューバの野球システムを知りたいと思った。
少年たちにインタビュー。
大きくなってからの夢は、やはり野球選手になること。
憧れの選手は、現在ソフトバンクホークス所属のアルフレド・デスパイネ選手。
子どもたちは松井選手のことを知らなかった。
現在日本のプロ野球でプレーしている選手は9人。
正式に契約している。
一方、アメリカのメジャーリーグには、キューバの選手は22人。亡命しか道は無い。
コーチは「それぞれの年代に合わせた教え方をしています。10歳前後の子たちはポジションを決めずにいろいろなところを守らせる。バッティングも、右打ちもさせるし、左打ちもさせる」
国を挙げてスポーツ選手を育てている。
国営のスポーツ養成学校・エイデ。
全15州にあり、それぞれにスカウトがいる。
定期テストやフィジカル面も管理し、メキシコ、ベネズエラ、日本のプロ野球を目指すように指導している。

アメリカの経済制裁の影響で、街に行っても店には品物が無い。
日用品を求めて、街のあちこちで行列が出来ていた。
経済状況が良く無いのは、キューバでは当たり前。
配給所では、米・小麦粉・食用油・卵・牛乳などの生活必需品を配給している
公務員の給料は月約50万ドル(約5500円)と言われている。
とてもこれだけでは生活出来ないが、配給があるのでしのげている。
キューバでは最低限の生活は、保証されている。
キューバ人専用のマーケットは行列。
アメリカの経済制裁で物が入ってこない。
石けんと歯磨き粉がたまにしか入らない。
ヨーグルトを求めて5時間並むなどザラ。
土産物屋では、革命の英雄チェ・ゲバラのイラスト入りのTシャツなどが売られている。

革命広場がある。
内務省にはチェ・ゲバラのネオンサイン
革命を達成した後、他の南米の国に行くため、ゲバラはキューバを去った。
その時にカストロに達したメッセージ「永遠の勝利の日まで」
毎年メーデーにはフィデル・カストロの演説を聞きに数万人集まる。
個人崇拝を嫌っているため、銅像や記念碑は一切禁止。

カバーニャ要塞は、スペイン統治時代に建造された。
ハバナにはチェ・ゲバラの執務室が残っている。
執務室からはハバナ旧市街が一望できる。

チェ・ゲバラは、1928年アルゼンチン生まれ。
裕福な家に生まれ、子どもの頃は医師を志した。
27歳の時、フィデル・カストロが国外追放になってメキシコに亡命していた時に、アルゼンチンからゲバラが来て、出会って生涯の友情を結んだ。
腐敗や弾圧が横行して、市民の不満は高まるばかり。
そんな中立ち上がったのが、ゲバラとカストロが率いる革命軍。
革命軍は当初は劣勢で、山の中などで活動していた。
アメリカ寄りの独裁政権に不満を抱いていた農民たちの支持を得た。
1959年1月1日、首都ハバナが陥落。
革命軍が独裁政権を倒した。
これがキューバ革命。
革命の英雄であるチェ・ゲバラは、日本との関わりがあった。
かつて広島に来て、原爆の慰霊碑に花を捧げていたこともあった。
アメリカと戦って被害を受けた日本に対して親近感があった。
ゲバラは、キューバ革命を成し遂げた後、南米で革命運動を続けた。
しかし、1967年にボリビアで処刑された。
ゲバラの遺骨がキューバに戻ってきたのは1997年。

カストロやゲバラが起こした社会主義革命
その成果が最も現れているのが、教育現場である。
キューバでは、教育費は生涯無償、筆記用具もすべて支給される。
さらに、医療費もすべて無償。

キューバ革命以降、アメリカとキューバは国交を断絶。
アマチュア最強と言われたキューバの野球も影響を受けた。

松井氏が向かったのは、キューバの国内リーグが行われているラティーノ・アメリカーノ球場。
中には、バットを手にしたフィデル・カストロの絵。
収容人数は、中南米では最大の55000人。
1946年に作られた歴史ある球場。
名門チーム・インダストリアレスの本拠地。
チケット代は4円から。
シーズン中は多くのキューバ国民がここを訪れる。
キューバ国内リーグの選手は国家公務員。
国民の平均月収は約5000円なのに対し、野球選手は2万〜3万円前後とされている。
そんなキューバ野球を支えてきたレジェンドたち。
鉄壁の守備のヘルマン・メサ・フレスネダさん
シェアなバッティングが魅力のロドルフォ・プエンテ・サモラさん
キューバの至宝・ホームランバッターのペドロ・メヂィーナ・アヨンさん
1980年に日本で行われた世界アマチュア野球大会に出場していた。
日本からは石毛宏典さん、原辰徳さんが出場していた。
キューバはこの大会でも優勝していた。

子どもたちは、小さい頃から野球を愛して練習している。
キューバチームは近年では目立った活躍もなく、東京五輪出場に黄色信号が灯っている。
勝てなくなってきているのは、16〜17歳の少年たちが外国でプレーして、キューバにほとんど戻って来ないのが原因のようだ。
栄華を誇ったキューバ野球を揺るがすのが、選手の亡命。
キューバの野球選手は月収2万〜3万円前後だが、メジャーで活躍したら、給料は桁違い。
ニューヨーク・ヤンキースのクローザーのチャップマン投手は2009年オランダの国際大会中に亡命した。
年俸は約16億円(2019年)
松井氏のチームメイトだったコントレラスは、2002年メキシコでの国際大会で亡命、年俸は約6億円(2003年)
亡命すると、国を捨てなければならなくなり、キューバ代表として試合に出られない。
レジェンドの3人にも聞いたが、メジャーに行くと国には戻れなくなり、このような状況は正直、辛い。
今は命を危険にさらしてボートで海を越える。
そうやって亡命してプレーしないといけない。
一時国交回復できる状況が変わり、希望が持てたのだが、それも閉ざされてしまって、課題は山積み。

レジェンドから松井氏に逆質問
「アメリカに行って英語は話せたの?」
「今は少しずつ話せるようになったけど、最初はゼロだった。コントレラスもゼロだった」
「コントレラスはスペイン語だったが、彼とのコミュニケーションは?」
「当時は彼にも松井氏にも英語の通訳がいた。彼との会話は通訳2人を挟んだんです」
2019年メジャーリーグでプレーしたキューバ選手は約20人。
全員が亡命した選手である。

ゲバラがバッターボックスに立つ写真、カストロが投球している写真が残っている。
カストロは「野球はアメリカが我が国にもたらした唯一の正当的財産である」と語っていた。

街を歩いていると、サッカーしている少年が多くなっている。
キューバ野球が衰退したもう一つの原因なのだろう。

ホテル・アンボス・ムンドス。
ノーベル賞作家・ヘミングウェイの常宿
代表作には「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」
中でも、「老人と海」はキューバの海がモデル。
釣りが好きで、自分の体験談も添えられている。
ヘミングウェイがノーベル賞を受賞した際、「この賞はキューバに与えられた賞だ」と言ったそうだ。

ボデギータ
ホテルから歩いて5分ほどのところにあるヘミングウェイゆかりのバー。
観光客でいっぱい。
キューバを代表するカクテル、モヒート。
ライム、ミント、ホワイトラム、炭酸を加えたカクテル。
ハバナの気候に合う。
ヘミングウェイ直筆の「我がモヒートはボデギータで」というサインが額に入って飾ってある。

リオマール Riomar
ハバナのおしゃれな個人経営のレストラン。

ロパビエハ
羊肉を煮込んだキューバ伝統料理
ほつれた糸のような見た目から、紬というスペイン語が料理名になっている。

松井氏もほぼ初対面だった池上彰氏の圧倒的な知識には舌を巻いたようだ。
「浅く広くなら当たり前、池上さんは浅く、深い」

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キューバ革命という硬めな話題も、マイルドに要約してくれた。
また、圧倒的な強さを誇っていた野球大国が、第1回WBCの準優勝以来、王座になっていないのは何故なのかも理解できた。
キューバの街も紹介してくれて、まさに行った気になれたものだった。

★7月1日 プロ野球の中日は、キューバ出身のアリエル・マルティネス捕手(24)を支配下選手登録した。
 背番号は57。
 190cm 95kgという恵まれた体格と豪快な打撃が魅力だとのこと。
 外国人捕手というのも珍しく、2000年の、やはり中日のディンゴ以来となる。


前回の「池上彰・2019年ニュースまとめ」の記事はこちら(2019年2月15日)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://ameblo.jp/miyacar/entry-12574787364.html

では、明日。