◆いだてん~東京オリムピック噺~ 第35回・36回 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

第35回 民族の祭典
昭和36年秋、五りんと知恵はハリマヤ足袋屋を訪ねた。

金栗が5年ぶりに東京に帰ってきた。
ハリマヤ製作所に、関東大震災で別れ別れになったシマが生きていたと勘違い
「母です。(私は)娘のりくです」
金栗は聖火リレーのために東京に来た。
弟子の小松を皆に紹介した。
彼をマラソン日本代表に育てて金メダル、とは言うものの、選手の層は昔より厚くなっている。
当時は韓国ランナーが席巻していた。
ハリマヤの足袋を履いていた。

1936年ベルリン五輪。前日のIOC総会で1940年の開催都市が決まる。
ヘルシンキと東京の一騎打ち。
アメリカIOCは東京に投票してくれると言ってくれた。

「万が一取り損ねたら、覚悟がある。脱退だよ、脱退」と嘉納は言った。
ラトゥール会長が「一番にスピーチさせる」と言った。
「もはや日本は極東ではない。オリンピックはすべての大陸で開かれるべきだ」と嘉納はいい演説をした。

そして3時間後、「1940年東京」
アジア初の開催が決まった。

IOC中国の王も支持してくれた。
「アジアの国として、東京に投票するしかなかった。
スポーツと政治、関係ない」
嘉納は感謝を述べた。
ラトゥールは、田畑に「ヒトラーにお礼を言いなさい」と呟いた。

ベルリン五輪が開幕した。
街じゅうに五輪の旗とナチスの旗が並んでいた。
開会式で日本選手団は軍の帽子をかぶった。
豪華絢爛の開会式に圧倒された。
嘉納「すごかったねえ」
ラトゥールは「ベルリンに張り合うことはない、東京は東京のやり方でいいんだ」

選手村での、若い選手の間では「ハイルヒトラー」が流行語になっていた。
「田畑さん、次の大会はテレビジョンの時代です」
アメリカのジェシー・オーエンスも紹介された。

孫さん南さんらが走るマラソン。
この日のベルリンは異例の猛暑。
コースは坂また坂の難コース。
午前0時で放送は打ち切りになり、日本国民の悲鳴が聞こえた。
りくが小松の足袋をすべてこしられた。

優勝候補のザバラが38キロで棄権。
朝6時に日本のラジオ放送が再開。
金栗はラジオの真ん前にいた。
孫が1着でゴールイン。
競技場にいた嘉納は涙を流した。
「孫選手は表彰式で君が代をどんな気持ちで聞いていたのだろうか」
辛作は「ウチの足袋を履いて優勝したことに変わりない」と胸を張った。
みんなでハリマヤ製作所の辛作を胴上げした。

田畑が本調子でない。
プールに来て悩んでいた。
夜中、前畑が練習していた。
「就寝時間とっくに過ぎてるんだぞ」
「眠れません」
そして「私は好きになる、このオリンピック。今は嫌いだけど、金メダル取ったらこのオリンピック好きになれると思う」


第36回 前畑がんばれ

前畑は田畑に「頑張れなんて言わんといてください。頑張って金メダル取れるんやったら、ロサンゼルスで取れてるわ」
猛練習して、世界一の記録を出したものの、世界一の責任に感じてしまった。

ベルリン五輪での陸上チームが絶好調。
水泳陣はロサンゼルスの時ほどは振るわなかった。
眠れない夜が続いた。
そして当日、「勝つんだ、勝つんだ」
ライバルはドイツのマルタ・ゲネンゲル。
前畑は予選1位で突破し、準決勝では調子を落としていた。
前畑に日本から電報が224通。
激励と言うよりは、「頑張れ」
河西アナウンサーは風邪を引いたが、田畑に反対されため、実況は交代せずに勤めることになった。

前畑は夢枕の両親に「女学校行かせてもらってありがとうございます。水泳させてもらって、ありがとうございます。どうか明日は勝たせてください」
両親にお願いした。
前畑は当日、電報の用紙を食べ始めて田畑を驚かせた。
「これで私は1人ではない。日本人みんなで泳ぐんや」
たまたま田畑はヒトラーを見かけ、話しかけた。
「ヒトラーさん、オリンピックを東京にアレしてもらう件はダンケシェン」
ヒトラーから手を差し出し、握手した。

日本の午前0時、正真正銘の実況放送。
ヒトラーも観戦するドイツ代表への大声援。
高石らベルリン五輪代表にならなかったメンバーは朝日新聞社に潜り込んで放送を聞いていた。
レースはやがて、前畑とゲネンゲルの一騎打ち。
国民はラジオの前で「頑張れ頑張れ」
田畑は河西に「頑張れ頑張れ言うな」と言っていたが、聞き入れられなかった。

タッチの差で前畑が先にゴール
タイムは3分3秒6
「頑張ったな」
田畑が手を出したが、前畑が引っ張ってプールに落とした。

ベルリン五輪閉幕。

選手村の通訳を4年後通訳として東京に呼びたいと言ったが、ユダヤ人だったため五輪が終わるとまた差別されてしまう。
彼は閉会式の翌日に自殺してしまった。

副島は田畑に「豪放らいらくな嘉納治五郎はどこかに消えてしまった。嘉納先生もプレッシャーと闘っとる」
組織委員会の人選に着手したが、人が増えればまとまらなくなる。
神宮競技場をそのまま使うのかで意見も別れた。
体協や陸軍の意見は強かった。
副島は「日本の文化を見せる、日本をドイツに置き換えてみろ。ベルリンの模倣になる」と心配した。

田畑は帰国して、マリーの店に駆けつけた。
放送のある日は店は繁盛して立ち飲みまで出る始末だった。
マリーは水泳陣のことを「立派よ立派」
田畑は「こうやって見ると、悪くなかったなベルリン。占ってくださいよ、東京でオリンピック本当にやれるかどうか。日本はこの先、どこへ向かおうとしているのか」

新聞社では、河野議員が待ちかまえていた。
「スポーツはお前に任せたのに。次の国会で、俺はオリンピック反対論をぶち上げる」

日中戦争が起こった。


前回の「いだてん」の記事はこちら(2019年10月13日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12534270519.html

では、明日。