◆黒幕・バノンの戦い・トランプ政権の舞台裏 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。


トランプ大統領が真っ先に取りかかったこと、
イスラム圏からの入国禁止の大統領令、これは選挙公約を果たすため。
デモが起こり、マスコミが大騒ぎするのは計算通りだった。
ほとんどの人は土日が休みなので怒りをあらわにする、ニュースで大々的に報じられた。
それがトランプは選挙公約を守っているというメッセージを支持者たちに送ることになる。
明らかにバノンの演出だった。
アメリカを再び偉大な国にしているんだ、と思ったはず。

アメリカ政治の中枢で存在感を表している人物
大統領上級顧問・首席戦略官、スティーブ・バノン
しかしバノン自身がその世界観を公の前で語ることはなかなかない。
3年前にテレビ会議に出たことがあった。
イスラム教が、キリスト教とユダヤ教に脅威を及ぼしていると訴えた。

バノンは自らをこの壮大な戦争の戦闘員と表している。
1950年代にバノンの世界観が形作られた。
バージニア州リッチモンドにの労働者階級に生まれ育った。
父親はJ・F・ケネデイの熱烈な支持者だった。
高校生の頃は議論が好きな子どもだった。
バージニア工科大学に進んだ。
政治と初めて関わったのは、学生自治会長の選挙に反体制側として立候補したこと。
アウトロー的な立候補で、いかにも現在のトランプ的な行動。
大方の予想に反し、バノンは地滑り的な勝利を収めた。
卒業後は海軍に勤務。政界への足がかりにするつもりだった。

1979年11月、イラン・アメリカ大使館人質事件が起こった。
バノンは後に、この人質救出の失敗が政治の転機になったと述べている。
この責任はジミー・カーター(大統領)にある。カーターはアメリカの威信を傷つけた、と述べていた。
7年後、バノンは海軍を離れてハーバードビジネススクールに入学、リッチモンドの労働者階級からの決別だった。
ゴールドマンサックスで職を得た。
ウォール街に留まらず、取引をするためにハリウッドに行った。
退職後は映画やテレビに出資する会社を設立。
彼はさらなる目標を探しているようだった。

そして、全てを変える出来事が起こった。
9・11 アメリカ同時多発テロ事件
海軍時代に感じたイスラム勢力の脅威がアメリカに到達した。
バノンは、イスラム勢力がアメリカにまで来て、アメリカ人を殺していることを、「文明間の戦争だ」と捉えた。
バノンはドキュメンタリー映画の製作者として、戦いに参戦した。
危機感を募られていたバノンは、英雄視するレーガンのドキュメンタリー映画を制作。
彼の映画の作り方は、非常に洗脳的で、語り口は熱にうなされているように熱いもの。
敵・ビーストはまだ生きているという結末にして、バノンは警告を発した。

バノンはどうしたら歴史を変えられるか、模索していた。
バノンが魅了された1冊の本「フォース・ターニング」ストラウス/ハウ著
歴史のサイクルを元に、未来を予測したもの。
これを元にして作られた映画が「ジェネレーション・ゼロ」
バノンは、次に第二次世界大戦のような大きな戦争が起こると思っていた。
最終戦争が起こり、全てが破滅するのを見たがっているようにも思える。
アメリカが危機に瀕していると固く信じていたバノンは国を救うべく、新たな戦士を探し始めた。
2011年に、元アラスカ州知事サラ・ペイリンを探し当てた。
彼は、中西部の保守層の共感が得られるような人物に強く惹かれる傾向がある。
しかし、大統領選に立候補するようにペイリンを説得することは出来なかった。

ハリウッドの保守派のグループに入り込み、アンドリュー・ブライトバートと知り合った。
ニュースサイト・ブライトバートの運営者。
ここからバノンは右翼政治の世界に進出した。
2人は互いに惹かれあった。
バノンは資金集めのために保守派の大富豪・マーサー一族に接近した。
しかし、ブライトバート氏の突然死。
ニュースサイト・ブライトバートを引き継いで、ワシントンの権力批判をおこなった。

バノンは自らがポピュリスト・ナショナリズム(大衆的国家主義)と呼ぶ世界観に沿ってニュースサイトを運営していった。
文字通りのアメリカファーストだった。
読者は黒人の犯罪、イスラム教徒のテロ、移民の犯罪、グローバル主義のエリートたちの汚職により、アメリカの文化が攻撃にさらされているという論調を受け入れた。
人種差別的な人々に発言の機会を与えたことはまぎれもない事実。
保守的な右翼集団を正当化していた。

超党派による移民制度改革法案が通ろうとしていた。
バノンは反対派のセッションズ上院議員と共闘、ポピュリストの意見の高まりで、法案は暗礁に乗り上げ、改革は頓挫した。
一つの成功をきっかけにバノンは、再びアメリカを変える人物を探し始めた。
保守派団体のデビッド・ボシーを介してドナルド・トランプと知り合った。

予備選挙の最中、トランプは舞台裏でずっとバノンに助言を求めていた。
バノンはトランプの対立候補を次々と標的にしていった。
この時期に、ブライトバートのスタッフ6人が辞職した。
特定の候補を応援し続けたためだった。

共和党の候補に選出されたトランプは、本選に向けてバノンを正式に陣営に加えた。
頼りになる指南役だった。
トランプの女性蔑視発言で苦境に立たされたが、バノンは撤退よりも反撃を選んだ。
トランプは怒りと不安を募らせている人々に訴えかけ、ナショナリズムに満ちたメッセージを届けた。
バノンが練り上げたメッセージだった。

大統領就任式の日、バノンの政策は結実した。
トランプが勝利をつかんだのだ。
バノンの政治理念が詰め込まれた就任演説だった。

ワシントンを混乱させるには、物議をかもす大統領令をたくさん出せばいい、それが効果的なやり方だと彼らは考えた。
その中で最優先事項の一つとされているのが、イスラム過激派への対策。
ホワイトハウスでは、バノンの影響力がさらに増していた。
彼は、NSC(国家安全保障)の常任メンバーにも選ばれた。
徐々にメディアは、バノン大統領だと持ち上げ出した。
タイム誌は彼に「偉大なる操縦者」と称号を与えた。
トランプ自身がこの流れを好まなかった。
バノンは自分の下で働かないといけない。

さらに、入国禁止措置が裁判に持ち込まれた。
トランプ大統領の支持率は急落。
ホワイトハウスは混乱状態で、内紛が起きていると報道された。
バノンは議会との取引は未体験だった。
大統領の娘婿、ジャレッド・クシュナースは公然とバノンを非難するようになった。
トランプはバノンを抑え、身内を引き立てた。
トランプ大統領は、次第にバノンの強硬路線に背を向けるようになった。

大統領は、バノンをNSCのメンバーから外すと決定した。
ホワイトハウスでの影響力が低下すると思われた。
ペンシルバニアでの就任100日目の演説には、バノンが同行した。
スピーチ原稿はバノンの手によるものだった。
大統領に「ブレないでください」と訴えた。
その後のトランプの危機の際も、常に大統領の傍にいた。
バノンの戦いは続く。

(ボストン公共放送局・WGBH製作、BS-NHK放送)

★画像は、akizouさんによる写真ACからの写真

やはり、武将、政治家に名参謀あり。


池上彰のニュース解説「米大統領選」記事はこちら(2016年4月11日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12149015806.html

では、明日。