◆黒部の太陽:昭和の映画界の2大スターの夢の共演 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

黒部の太陽(1968年)
熊井啓監督

昭和31年6月・標高2900メートルの険しい雪山

黒部トンネル
調査しながら工事、工事しながら調査
関西電力の幹部は楽観。
見積もりも出来ないから特命という案件にして、金額を関電側で決め、その額を飲んでくれるか
1週間猶予を与えた。

北川(三船敏雄)は、これまでのダムに比べて桁違いだと渋ったが、総責任者に指名された。
関電社長は、電力の供給を安定させるために水力も必要だと説いた。
400億の大工事となる。

間組の国木田(加藤武)は、京都の建築事務所の設計士・岩岡武(石原裕次郎)を騙して屋敷に来させた。
武とユキ(樫山文枝)はこれから付き合うことになった。

武は、黒部川には大きなフォッサマグナ(破砕帯)が潜んでいるため、工事は難しいと説く。
ボーリングも出来ない場所だという。
「父は、自分のためにトンネルを掘っている。犠牲者が出たって構ってない」
腹のなかでは虫けら一匹にしか思っていないとも言って非難した。

関連トンネルは長野県大町市から16キロ、岩小屋沢に東坑口が設けられた。
昭和31年8月1日に熊谷組・岩岡班の工事スタート

間組の地点では、大型土木機械は立山を越えることが出来ない。
「成せばなる」と国木田は檄を飛ばした。

昭和13年の黒三トンネルの工事に関わった森(宇野重吉)が姿を見せた。
その頃は地獄の中にいたと証言した。
「最後には何が何でも掘り抜かにゃならん」
300何人の労務者が亡くなった。
森の息子ケンイチ(寺尾聰)が第4工区のメンバーにいた。

ユキは武に「父はある日覚悟を決めた、会社の誰かに説き伏せられた」

秋になり、武は荷物を背負って北川のところを訪ねた。
父は現場で何人もの工員の命を奪ったと言って、痛烈に批判した。
岩岡長男の与一も発破の事故で亡くなっていた。
工事は順調に見えた。
岩岡息子も来ていた
地下を進む工事の車が神輿のようだった。
岩岡父は工事の車にひかれて、現場に姿を見せられなくなった。
北川の説得で、武が父の代理として現場に立つことになった。

4月になり、工事は停滞し始めた。
武から呼ばれて、北川が工事現場に着くと、崩れかかって来た。

破砕帯に到着し水も漏れ、岩盤が下がって来ている。
北川は天井がきしむ音を聞きとった。
「全員退避」
崩れ出し、急激な流水が起こり、逃げる工員を追いかけて来た。
さらに、トンネル内に悪性ガス発生
パイロットトンネルもことごとく失敗

ユキの妹・マキコが白血病であと1年だとわかる。
北川には内緒にすることにした。
病名を知らずに北川はマキコを見舞った。
家族は泊まるように勧めたが、様子がおかしいのに気づいた。
妻が病状を明かした。

工員は200人も減ってしまった。
北川と熊谷組社長とともに温泉に入った。
熊谷組の社長も「今回は抜けない、わざと工事を遅らせているわけではない」
工事は、関門トンネルの時のようなシールド工法を選択することになった。

発破の事故で犠牲者が出た。
工員からも岩岡親子への批判が出た。
辞めていく工員たち、150名がいなくなった。
武は残った工員たちに金を多めに払うよう提言した。
ある日、水の勢いが無くなり、ようやく破砕帯を突破した。

武は結婚し、マキコも喜んだ。

第4工区も順調に掘削が進んでいたが、ケンイチは事故で入院。
昭和33年2月、間組の第1区と3区両側から貫通しそうだが、なかなか開かなかった。
電話でお互いを罵る場面もあった。
マキコの容体も悪化して、歩けなくなった。

みんなが休憩したのに、武は1人でドリルを使い掘り続けた。
第1工区にドリルの先端が見えた。
休んでいた工員たちが知らせを聞いて戻って来た。
午後7時40分、最後となる発破
煙の向こうに第1工区が見え、工員たちのお祭り騒ぎ。
後日、貫通式が盛大に行われた。
祝い酒・新政がふるまわれ、柄杓やヘルメットですくっていた。
旗がはためいて「黒部の風だ」バンザイ

北川には、マキコが亡くなった電報。
直後にみんなに一言を言わされて「みなさんありがとう、ご苦労さんでした」

これからは機械が入り、大規模になる。
1人現場から立ち去る武がいた。

岩岡の父は悪夢にうなされながら息を引き取った。
長男・与一の死の自責の念に耐えていたのだった。

北川と武は別々で、完成した黒四ダムに来ていた。
犠牲者鎮魂の像が作られていた。

黒部に太陽が昇った。

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石原裕次郎と三船敏郎の2大スターの共演
裕次郎からの遺言で「この作品は、大きいスクリーンでしか見せないで欲しい」という理由で
なかなかDVD化されていなかった。
2013年3月に石原プロ50周年を機に解禁され、このたびBS-日テレで放送された。

重たい作品だった。
それだけに貫通した時の喜びが味わえた。


「百年の計、我にあり」の記事はこちら(2016年11月23日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12222234499.html


では、明日。