↑前回のブログで、
「母親と依存関係を続けているから幸せに生きられない」
といったことを書きました。
母親に依存するのは、多分、
「愛して欲しいから」
じゃないですか?
なぜ愛して欲しいと願うのかというと、
「これまで自分が望むような母親からの愛を感じたことがないから」
じゃないでしょうか?
なんでこんなことを書けるかというと、私もこれまでも今も、「母親から、私が望むような愛を感じたことがないから」です。
全く愛情を感じられない母の言葉や態度に傷つきまくり、居場所を失い、だから私は20歳で親元を離れ、自立したんですから‥
今も母親に依存してる人は、お母さんに、
「いつか私を愛して欲しい」
という期待が執着となり、
何歳になっても、
何十年も母親に依存し、
自立できないままなんじゃないでしょうか?
これでいいの?
という疑問と不安と悲しみを持ちながら‥
自分の子どもでも、愛せない人はたくさん居ると思います。
私自身、子どもを産んで母となった責任で子どもを育てたけど、そこに子どもが欲しい愛情を注げたかというと、全く自信がありません。
そもそも私は、子どもがあまり好きではないですし。
ただ、母のようにはなりたくなくて、母が私にした嫌なことは、私の子どもにはしないように育てました。
それが正しかったのかは分かりません。
だけど少なくとも、私のご機嫌をとったり、自分で決められず私に頼ってくるような子どもに育っていません。
悩みながらも、自分で自分の将来を考えているように見えます。
私は、私の理想や価値観を子どもに押し付けないよう、言葉を選んで話すようにしています。
母に母の当たり前を押し付けられ、その当たり前ができる理想的な娘を求められるのが何より苦しかったからです。
母親から愛されるには、
その母親に愛がないと子どもは愛されません。
もしもあなたがお母さんから愛されないと思うなら、残念ながらそのお母さんには愛が足りません。
なぜなら多分、そのお母さんもお母さんに愛されずに生きてきたからだと思います。
そもそもお母さんが愛を知らないから、
愛が何だか分からないから、
自分の子どもを愛することができないとしたら、無理もないんです。
私たち親の世代は、戦後の貧しい時代を経験した人たちです。
更にその親は、何とか食べ物を子どもに与えるだけが精一杯で、そこに親子の豊かな愛情は少なかったんじゃないでしょうか?
だから、親同様、私たち世代は、親に愛されない子どもが多いんじゃないかと思います。
どんなにお利口になっても、
どんなに立派な成果を出しても、
どんなに尽くしても、
褒めてくれない。
認めてくれない。
愛してくれない。
そして、私たちはいつも愛に飢えてきたんじゃないでしょうか?
私たち世代は、母親から自分が求めるような愛を受けることはほぼ不可能だと私は思います。
母親が経験のないことは、子どもには与えられないからです。
残酷なようですが、
母親に愛を求めることは諦めたほうがいいんじゃないかと思います。
その代わり、
お利口をやめ、
褒めてもらうことをやめ、
尽くすことをやめ、
自分で自分を愛せるよう、
自分を満たせることを選んでいいんじゃないでしょうか?
お母さんへの依存、執着をやめ、自分を選び、自分を生きる。
精神的に自立する。
これが自分への愛じゃないでしょうか?
自分で自分を愛してあげる。
そうすれば、愛を誰かに求めることが減り、もっと楽に生きられるようになります。
そのためには、
我慢するのはやめ、
自由に、
やりたいこと、
楽しいことを選んで、
自分で自分を喜ばせてあげることが、自分への愛なんだと私は思います。
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