(石川県 能登半島地震)被災地に『大気発電』を届けたい | マーコスと太田裕美が好きな龍人 (Ryu-jin りゅうじん)

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東日本大震災の時は石巻市民でした。その後、震災ストレスになりました。乗り越えられたのは、太田裕美さんの歌のお陰です。元気を分けて貰えたからです。応援しています…!



石川県 能登半島地震で傷ついた街の様子、青ざめる地元の人々、そして救助や復旧に尽力する関係者たち。
飛行機事故も加わった令和6年 元日の出来事に、全国民がショックを受け沈んだ気持ちとなった事でしょう…。

犠牲となった方々のご冥府を祈ります。
災害に遭われた皆様が1日でも早く元の生活に戻れる様に願っています…。

私が直ぐに頭に浮かんだのは、“石川県の被災地に『大気発電』を届けたい”という事です。
水も電気も無い現地に、『大気発電』を設置すればどんなに心強いでしょうか…。

でも残念ながら『大気発電』はまだ実験が成功したばかり。
2024年4〜5月に公開を目指し、第1号機を成田に建設中だそうです…。

さて、筆者は311東日本大震災の被災者です。
地震と津波で甚大な被害を受けた石巻市にいました。
住居は流され全壊、仕事場も半壊。
ですから災害の恐ろしさは誰より知ってます…。

本当に大変なのは、翌日からの被災地での避難所生活です。
着のみ着のまま。
水もない電気もない電話もないクルマもない。
何にもない、有るのは瓦礫の山…。

311の翌日から私と家族は、小学校で避難所生活。
何せ1,000人も逃げ込んだから、1つの教室に住民が80人も寿司詰め、身を寄せ合い凌いだ。
しかも1階部分は水没してる…。

3月の石巻市は寒くて寒くて、とにかく寒かった。
送電は止まっているから暖がとれない、灯りもない。
ダンボールを体に巻き付け教室の角で震えていた。
飲み水も僅か、食べ物が無い。
毎日腹が減って腹が減って、とにかくひもじかった…。

1日目は乾パン1切れを4等分し食べた。
2日目は拾ったお菓子を教室の皆で分けて終わり。
水は学校の給水タンクの残量が判断出来ず節約して凌いだ。
あの時は余りにも大規模な被害の大きさに、救援に手が回らなかったらしい…。

水が引いた5日後、私と家族は小学校を後にし、仙台の実家へ何とか辿り着くも、水も電気もない生活に変わり無かった。
でも、農家の親戚が軽トラで水や食料を運んでくれたから本当に有り難かった…。

311、実家での被災者生活は、毎日ドロかき、巡回する給水車が到着すると水をペットボトルに注いで何本も運ぶ、おにぎりなど支給されるものを受取る、衣服など支援物資を貰うなどしました…ハァ。

寒い春先に、水も電気も使えない生活が2ヶ月以上続いた311。 
灯りは懐中電灯、夜明けに明るくなったら起きて日没後は寝るしかない…
2ヶ月もシャワーもお風呂にも入れなかったのはキツかった。
クルマが無事でもガソリンスタンドが稼働してなかったから、給油出来なかった。
あの時、一番役に立ったのはカセットコンロでした。
火を着ければ少し部屋が暖められるし、煮炊きが出来るから温かいものが食べられたからです…。

私達の毎日に無くてはならない水と電気、とくに電力に大きく依存し生活の全てを電気で賄う現代社会です。
送電が切れると簡単にアッと言う間に、もう何にも出来ない不便な状況と陥ります…。

災害で壊れた水道管と電線が復旧するまで、気の遠くなる時間を要します。
そこに、もし『大気発電』が有ったならどうでしょうか…。

『大気発電』は、空気から水素を取り出し、その水素からさらに水と電力を作る極めてシンプルな発電機。
外部から何にも接続しなくとも、自立式の設備です。
たった30坪足らずの施設から、水を1日3.5トン、電力30メガワット(27,000軒の家屋に送電可能)を生み出す頼もしさ…。

被災地に『大気発電』が1台有れば、電力と水がいくらでもジャンジャン作り出せるから、電灯や電話は勿論のこと、給水とトイレ、お湯を湧かせば即席のお風呂が用意出来る。
水素ガスがいくらでもジャンジャン作り出せるから、トヨタの水素自動車なら使える…。

『大気発電』が早く普及して全国に設置されるのを、私は待ち望んでいます。
とくに被災した地域でその威力を発すると思います…。

りゅうじん