占い師としてのアドバイスの是非(「易者の末路は哀れ」続編) | 紫微斗数(星曜派 四化飛星 欽天四化) 宮立命/宮巫女 Miya_ritumei/Miya_miko

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 アドバイスの是非

 

 

 

前回のブログでは、占い師として艱難辛苦の地獄のどん底に居るような人に対して、その地獄から抜けだすためのアドバイスに対して「是非」を問う内容でした。

 

その結果、多くの反響やメールを戴きました。

 

皆様から寄せられたご意見は、「アドバイスは必要」、「そのための占いだろう」というご意見でした。

 

困って、どうしたら良いのか分からないから占いに行く訳で、そこでアドバイスをされるどころか、「魂の成長のために、苦労を選んで生まれて来たのだから、これからも苦労が続くのは仕方がない、貴方はそういう人生だ」では、最悪であればあるほど、よほど気丈な人でない限り死にたくなるでしょう。

 

 

事の発端は、相談者さんに対して、占い師が苦労から抜け出すためのアドバイスを安易に伝えると、「苦労する人は苦労する事を目的に生まれて来たのだから、アドバイスはご法度」というような考え方からでした。

 

 

 

人生のどん底に落ちている人に、いくら良いアドバイスをしても、そのアドバイスを元に考え方や行動を変えて、人生も改善するのは、それは苦労のどん底にいる本人の役割です。

 

占い師が代わりにやってあげる訳ではありません。

(相談者さんから代わりにやって欲しいと、せがまれる事はありますが、それは占い師として断ります)

 

 

占い師がアドバイスする三箇条は以下のとおりです。

①苦労から抜け出すためのアドバイスは占い師として示します。②苦労から抜け出す行動は、本人がしなければ成らない。

③その苦労から抜け出すための努力が魂を成長(心が広く成る、寛容に成る)させるのです。

 

※単なる吉凶のみを伝えるなら、頭の良い小学生占い師でもできます。(頭が良ければ小学生でも占い理論は覚えられるます。しかし人生経験が無い、社会常識もまだ身に付いていない、だから理論で云々、吉凶云々となってしまいます)

 

占い師として第一人者となるには、吉凶云々だけではなく、迷える人に、少しでも方向性が示せるように成るのが必須と思います。

 

人生で苦労が生じるのには、必ず原因があります。

もちろん、偶然の出来事で命を失う(偶然は実は最初から決まっていた出来事)人も居ます。

早世する人は、この人生で早く亡くなってしまう訳ですが、その目的は自分以外の誰かのために役割を背負って生まれて来るようです。命盤を観れば、その役割が観えてきます。

 

死んでしまう人を周囲で観ていると、物凄く気の毒な出来事ですが、死んでしまう本人は死ぬ瞬間は苦しいですが、死んでしまえば魂は肉体から解放されますから苦しみも解放されてしまいます。

アフリカの草原で、ライオンに襲われて生きたまま喰われる動物の様子を観たことがありますか?

彼らは襲われる瞬間は必至で逃げて抵抗しますが、捉えられて喰われ始めると、生きていても抵抗はしなくなります。

 

息の根を止めて喰い始める訳ではありません。

 

生きていて意識もある状態で喰われるのです。

 

しかし、彼らはもう抵抗しないのです。まるで「食物連鎖」の理論を知っているかのようです。痛みも苦しみも感じていないように観えます。むしろ安らかな表情に観えます。

 

もしかして、動物には食物連鎖の仕組みがDNAに組み込まれていて、生きていても、もうダメ、助からないとなると痛みも感じなくなるのかも知れませんね。その辺りは動物学者に聞きたいです。

 

そういう意味では、人間も死ぬほどの大怪我をすると、意識が有っても痛みを感じないようです。私も過去に大怪我をした経験がありますが、痛みは何も感じませんでした。血がどっと流れだして自分が怪我をしたことに気付いたのです。

痛みは、手当てしてから感じ始めました。

 

と、いうことで死んでしまうということは、死ぬ本人よりも、残された関係者の苦しみの方が甚大です。

残された家族の方が、その苦しみ、悲しみを一生背負う事だってあります。

早くに亡くなってしまう人は、もしかして残された人に何かを経験させる役割を持って、生まれて来たのかも知れません。

 

 

自分が思うような人生に変えるのは、本人しか出来ないのです。

そもそも、人は人生の岐路に差し掛かった時に迷いが生じます。

 

 

 

その時、その時の判断が人生を方向付けて行きます。

しかし、その時、その時の判断は「人生のシナリオ」に沿った判断をしているのです。それを決めているのが、その人が持って生まれた性格や行動心理なのです。

言い換えれば、苦労する人は、そういう因子を持って生まれて居ることになります。

 

苦労する因子を持って生まれて居るから、苦労させた方が良いという意見の占い師もいます。そういう占い師は「易者の末路は哀れ」ということに賛同している訳です。

 

 

しかし、私は逆です。

苦労から抜け出すために、自分の持って生まれた悪い因子を、この人生でどう改善するかを試されていると思っています。

 

 

恵まれた家柄に産まれて、何不自由なく育って、親の敷いてくれた出世街道のレールに載って、何も考えなくても社会の頂点に立てた人は、この人生でどんな学びをしたのでしょうか?

 

もしかして、他人の苦労を観て哀れに思うことなのか、それとも自分もそんな体験がしてみたいと思ったのでしょうか。

 

 

私の人生には、そのような設定が無かったので分かりません。

私の今世は、奈落からのスタートでしたから。

来世では、もしかして恵まれた家柄に産まれる、坊ちゃんなってみれば、初めて恵まれた人の、それが体験できるかも知れません。