2002年松竹座公演『華岡青洲の妻』で八千草さんは私のお母はんでした。
きっと色んな人が八千草さんとの思い出を書くだろうけど、私も書きたい。
この芝居のお稽古の時の、八千草さんのお心遣いが今も忘れられません。
私の役は華岡家の長女、お勝。
本番の10日ほど前に、お勝役の方がご病気で降板になり、急遽出演することになった舞台でした。
舞台上で、お母はん役の八千草さんに、着物を一から最後まで着付けるというシーンがありました。
歴代の『華岡青洲の妻』の舞台での、見せ場の一つらしく、これに出ることになったと伝えた先輩女優に、
「大変よ!」と、恐がらせられました。
普通のお太鼓結びとかではなく、特殊な結び方を、お衣装さんに習って、必死で稽古しました。
稽古に参加したその日から、家では椅子の背もたれ相手に帯を結ぶお稽古。
お稽古場では、稽古後にお付きの女の子にモデルになってもらって着付けのお稽古をしてました。
すると八千草さんが
「私がお稽古の相手をするから、私でお稽古してちょうだい」
とおっしゃってきはった!!
「そんな、めっそうもない!」と断っても、
「体型が違うから…」
と言って、毎日の私の自主稽古に付き合ってくださいました。
おかげさまで、本番では一度も失敗することなく、
舞台上で、八千草のお母はんに着物を着せるというシーンがスルスルと、なんの問題もなくできたのでした。
その時に、
『あー私もこういう女優さんでいたい!!』
と強く思いました。
よく、着付けとか所作は習ったんですか?
と聞かれるのですが、思い返すと
着物の着付けは、この芝居で学んだんですね。
八千草さん相手に着付けのお稽古…て、どんだけ贅沢なんでしょう!!
八千草さんの着物での所作は本当に美しくて、たくさんのことを現場で学ばせてもらいました。
願わくば、もう一度現場でご一緒したかったです。
心よりご冥福をお祈りします。
【備忘録】
お兄ちゃんの華岡青洲が高嶋政宏さん、
妻が富田靖子ちゃんでした。
私は乳がんになって、青洲の麻酔薬の実験台となり、幻覚を見ながら兄の腕の中で死んでいくという、医学の進歩に役に立つことになった妹役でした。
今になって、自分は恵まれてたな〜と強く思うのです。
大事に生きよう。