2 社会を発展するものとして理解する


 社会科学というものはどういうものか、という問題は、さほど簡単に答えられるものではない。しかし、自然科学が自然の総合的研究を企図して、その各側面を研究する専門を持つものであるとすれば、社会科学も、社会生活の全面的研究を企図すると同時に、各側面について専門が生まれる。したがって、社会生活の基本的法則が、社会生活のあらゆる側面にどのように自己をつらぬいていくかをきわめることによって、社会生活についての体系的な知識を構成していくことができる。
 それだけではない。あとにのべるように、社会は発展するものとして理解されるべきものであるとすれば、こうした発展は、人間の発展であるほかないのだから、人間は、主体として、社会をどうして変革するかということも、科学的思惟の対象となりうる。このことは、決して科学的思惟がいわゆるゾルレンの科学となることを意味しない。なぜかというに、社会的存在の必然の法則は、人間の自由として現れるのであって、自由と必然とは、この節でのべるように、ゾルレンとザインのようにおたがいに峻拒しあうものではないからである。
 すべては流転する。しかし、常に同一のしかたで流転するのではない。自然と社会とでは、この流転のしかたがちがっている。人間の「歴史」が始まって今日にいたるあいだに、自然は変化しなかったものとして取り扱いうるが、社会は大変な変化をしている。自然と社会との変化は、その時間的尺度をまったく異にしている。この相違はたんなる量的相違ではなく、法則の質的相違である。事実、社会は、独自の法則をもっている。
 社会生活は、太古から今日にいたるまで変化をしてきている。穴をほって、その上に掘立小屋を作って住み、石器で魚介類をとって食った時代から、今日の鉄筋コンクリートの家に住み、汽船で魚類をとらえ、アメリカ大陸で飼育された動物の肉を、大きな汽船で運んで、日本で食う時代に変わっている。鳥を見て太古の人間も飛ぶ夢を見たかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチすら鳥にならって飛ぶ方法を考えてみただけに終わっているが、今日では鳥よりも自由に遠くまで空を行くことができる。
 田山花袋の「東京の三十年」は、大正の初めの日本の空にも飛行機がよちよちと飛ぶところで終わっているが、今日では飛行機できわめて完全に世界を一周することができる。それは原子爆弾を積んで、一大都市をいっきょに絶滅させることができる。太古の人間が夢想することもできなかった大都市が、日本のいたるところに展開しており、そこには電車、汽車、自動車が、めまぐるしく走り回っている。人の大群が蝟集している。
 太古の人間を銀座につれてくることができたら、その食物、その建物、その交通機関、その通信機関におどろき、おそらくいっさいのものを理解しえまい。ただひとつ彼らに郷愁をそそるものは、婦人という婦人が、腕や胸や足をあらわに露出し、サンダルとかいうかかとや指の見える履物を履き、未開人のもっとも愛好した真っ赤な布をまとい、口唇も真っ赤に染めているさまであろう。ここにいたって、彼らは同胞に再会した思いをするであろう。しかし、彼らは、その服装と化粧が、文明人の苦心の考案になるものであることをきくならば、あきれるであろう。彼らには、資本主義文化がその頽廃を野生の追求としてあらわしているなどとは考えられない。が、いずれにしても社会生活の変化ぶりは驚嘆にあたいする。ただ、このように社会生活の個個の事象が変わっているのではない。社会の構造そのものも変わっている。
 古代社会では、社会を存続させる生産階級は奴隷であった。中世では、農奴制があって、社会の必要とする生産をうけもっていた。近代の資本主義社会では、低賃金労働者階級がこれを行っている。このような生産関係のちがいによって社会の構造はちがってくる。社会構造がちがえば、生産されるものの分配のしかたもちがってくる。
 社会が存続するためには、その必要とする物資が生産されなければならぬ。生産するということは、生産手段を持って人間が自然を変えること、すなわち労働することである。飛行機が飛ぶのは、人間が自然の法則にしたがって、これを変えたのである。このような人間労働が中止されたら社会は存続しない。米や小麦も収穫されないし、これを運ぶ汽車も動かない。ピアノもなければ、映画もない。バイブルもなくなれば、「善の研究」も読めない。顕微鏡もなく、ペニシリンもない。社会が存続し、文化が存続し、文化が発展するためには、それらの物質的土台が人間の労働によって作り上げられていなければならぬ。社会の存続と発展を決めるものは、人間の欲望を充足させる物質を作り出すに必要な労働の量が存在し、これが必要にしたがって、各生産部門に配分されることである。この労働の量を必要にしたがって各生産部門に配分するその仕方は、その社会が中世であるか、資本主義であるか、社会主義であるかにしたがってちがっている。
 中世では領主の必要を中心として労働の配分が決められる。資本主義社会では資本の競争が 中、商品交換における価格をめやすとして資本を移動させて労働を配分する。社会主義社会では、社会成員を代表する中心機関の計画に従って、これをなす。社会主義社会を別とすれば、中世には領主と農奴その他、資本主義社会には資本家と労働者、その他の諸階級があることになる。
 このようにして、物質的生産力という社会の存続を決定するものを中心に、いろいろの階級ができ、それらの階級が互いに結んだりたたかったりする。こうして、彼らの意識が成長し、それぞれの社会に応じた文化ができる。中世と資本主義の文化の性質の違いは、このような社会形態の相違と各階級の結合と闘争のしかたの相違からでてくる。
 一定の社会形態のもとで発達しつつあった物質的生産に、従来の労働の配分の仕方では、適応しきれなくなると、このような配分の仕方が変化しなければならぬ。それは、たとえば、中世的なしかたから資本主義的なそれへ、さらに、資本主義的なそれから、社会主義的なそれへと変化することを意味している。このように社会形態が変わると、これに応じた考え方、人間の感じ方がちがってきて、思想や芸術が変わってくる。
 要するに、社会を発展的に理解するということは、ただ、社会形態とその文化が変わってきたということを考えるだけではない。必然的な発展の法則をもって変化したことを意味する。その法則は、物質的生産力がふるい社会形態と矛盾し、新しい社会形態を要求するということである。ここでいいたいことはつぎのことである。社会の歴史は、このような一定の法則を持って変化する。階級社会についていうと、旧社会を作っている人間のあいだに、発達した物質的生産力を代表して、この社会を新たなる社会に移行させる人間ができている。そして、これらの人間は、旧社会を維持しようとする人間の勢力とたたかうことによって、次の社会を実現する。こういう意味で、社会の発展は必然的に行われるということである。だから、社会の発展は弁証法的であるというのである。
 社会を発展するものとして理解する、とはこのようなことをいうのである。一定の社会が歴史的性質であるということも、このことにほかならない。
 ただ、社会とその変化が太古から今日まで変わってきたということは誰でも感ずる。問題は、ただ変わったというだけでなく、どんな法則によって変わったかを知ることにある。たとえば、石器で食料をえることと、近代的技術によってこれをなすこととは、大変な違いである。しかし、ただこの変化を知ってだけでは、なぜ太古の人間の石器は利潤を生む資本ではなく、工場は、資本という経済的な特性を持つかを知ることはできない。石器と近代工場とが、おのおのもっている経済的性質は、これらの充用されている社会形態を知らなければ理解できない。
 すべての社会生活の側面をとりあげて、社会科学の研究対象とすることができる。政治、経済、法律、芸術、宗教などがある。しかし、そのいずれも社会的人間の生産物として、一つの有機的な全体をなしているはずである。社会生産の歴史性ということは、同時に、社会現象のあらゆる側面の歴史性を意味している。社会科学を学ぶものは、先に述べたような意味で社会を発展的なものとして理解することが必要なのである。このことは、社会科学のどの部門を学ぶにも必要な基本的な考え方である。

1 すべては疑いうる


 楽しい音楽をかなでるようになるには、骨身を削る精進が続けられる。どんなことでも、刻苦することなく身につくものはない。自然科学であれ、社会科学であれ、これを学ぶにはそうたやすい道があるわけではない。『資本論』の著者も「学問には坦々たる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山道をよじ登るのに疲労困憊をいとわないものだけが、輝かしい絶頂を極める希望を持つのです。」といっている。
 マルクスのように、自分の生涯の事業に心魂を傾けつくした人も少ないだろう。もhちhろん、歴史上幾多の天才たちが、芸術や学問や政治のために、身を粉にした。しかし、彼のように偉大な事業と貧困と苦悩と闘争とが結合している場合もまれであろう。われわれは天才だけがなめたような苦しみを、まねる必要はない。おそらくできもしない。しかし、われわれも、われわれなりに苦労しないでは何事も自分のものとはならない。
 多くの人が中学校時代にこんな経験があるだろう。台数や幾何や英語を学ぶとき、はじめは面白くやさしいが、少し進むと、前に教わったことを忘れたり、新しく複雑な条件が出てきたりして、面白さより苦しさが多くなる。この苦しみを少し我慢してやっていると、いつのまにか、いつのまにか小天地が開けるような楽しいところに出る。しばらくするとまた暗黒がくる。次にまた陽が差す。このようなことが積み重なって、いつかある程度の語学の力や数学の力ができている。
 学ぶ道は一般にこのようである。私はときどき、早く経済学に熟達する法を聞かれることがある。私は、学問に近道はありません、と答えるのを常とする。どの道でもまったく無駄のない方法はない。経済学を学ぶにぜひ読まなければならぬ古典がある。しかし、それだけ読んだからとて経済学に熟達することはできない。古典に比べるとはるかにつまらない本もたくさん読まなければならない。それは、たくさんの無駄を踏んでいる。だが、たくさんのむだにじかに触れてみて初めて、むだがむだであることがわかる。
たとえば、リカードの「経済学原理」はあまり大きな本ではない。この本の精髄をつかむということが、決してリカードの本だけを読んで達成されるものではない。読まねばならぬリカードの解説本や彼を祖述した本はたくさんある。そんな本といっしょに、さらにリカードを批判した、彼と立場の違った本も読まなければならない。このようにしていると、リカードのあの小さな本一冊を理解するのに、たくさんの大きな本を読まなければならなくなる。そしてその中に誤ったこともむだなこともいっぱい書いてある。
 あとでのべるように、経済のことをわかるのに、経済だけを勉強すればよいというわけではない。たとえば、帝国主義といわれる現代を理解するのには、経済の範囲を勉強しただけで済ますわけにはいかない。政治、法律、軍事その他、芸術、文化などを学ぶ必要がある。また人類文化のあらゆる領域をみわたしうるのでなければ、歴史というものの意義を真に理解することはできない。
 法律学にある程度熟達するのにも、政治、経済その他社会現象の一般的な知識なくしては、不可能であろう。現代においては、人類の行動は、法律という形式でなされるのをつねとするからである。歴史学を学びたいと思う人があるだろう。歴史は、社会生活が発達してきた有様を、人間という主体の行為としてえがくものである。
 この点で理論的諸学科とちがっている。主体として行為する人間は、社会生活の一つの側面だけではなく、あらゆる側面を備えた総合的な存在である。過去の社会的人間を描くのであるから、史料を読まなければならぬ。しかし史料は一切のことについて語るものではない。史料は、それ自体としては、ばらばらなものである。これによって、当該時代を構築しうるためには、彼は理論的能力を持っていなければならないだけでなく、経済、政治、芸術、その他いっさいの社会生活を理解し、これを有機的に結合しえなければならぬ。さらに、史学は、過去の社会生活を構築しうるだけでなく、かかる社会的人間として行為する歴史的個性をえがかなければならぬ。この意味では、歴史家は芸術家でもなければならぬ。
 理想的にいうならば、歴史家は、たんに科学者であるだけでなく、ある意味では、政治家や芸術家の心を持っていなければならない。そうでなければ、歴史という人間の行為はえがかれない。このように考えてくると、一つの専門を学ぶものは
、その専門以外のもろもろのことについて感心を持っていなければならぬことになる。一見むだなようないろいろの本を読まなければならない。どんなに計画的に一生を終わろうとしても、それはできないことである。人は自分だけで生きているのではないからである。計画的に生きることは、少しもむだをしない生活をしょうとすることであるが、こんなことを極端におこないうると考えると、せまっくるしい専門家の小さな専門眼ができることに終わる。あまりに専門的な専門家は専門家ではない、という逆説がなりたつ。
 個人が自分のまわりを見とおす力は小さい。学問はその力を大きくするものであるが、この学問を学ぶのに無駄なく力を支出するということは、なかなかできがたい。だから、なんの役に立つかはっきりとみとおせるわけではないが、興味の赴くままに、いろいろの本を読んでいい。つまりはじめから囲碁の名人のように何目かの先を読むことはできないのだから、むだらしい石を打つことも仕方がない。
 ただ、学問が囲碁と違うところは、その人が、のちにある程度学問を会得したときには、それまでにむだに打たれたと思ういっさいの石を生かすことができる点にある。学問はあとになって、それまでにやったいっさいの事を生かしうる。むだのことだったようなものが、何かの役に立ちうる。知識は死ぬものではない。ただ、それを生かすか、死せるものにしてしまうかは、あとでどの程度に学問を自分のものにするかにかかっている。
 学問を自分のものにするには、その専門とするもの以外のいろいろなことを知らなければならぬが、同時に専門にえらんだ対象の中にまっしぐらに突入する精神も欠くべからざるものである。敵陣を突破する軍隊のように、一本深いくさびを打ち込まなければならぬ。そしてそれが展開するとき敵陣が破滅するように、科学が自分のものになる。そして、このくさびが開きうるためには、あまり狭小な専門家でなく、いろいろのことを学んだ専門家である必要がある。ここでむだでなくなるのである。
 学ぶとは本を読むことだけではない。世の中の実際からも学ばなければならぬ。どんな高速な学問のように見えていても、直接にか間接にか、世の実際の中に生きないものはない、と考えて学ばなければならぬ。この実際の中に生きるということを、あまりに性急に単純に考えると、ひからびたうすっぺらな知識しか得られない。学問においては、あらゆる専門が全体として世の中に生きるようになっていて、どれか一つだけですぐ社会のためになるかならぬかを決めることはできない。そしてどの一つでも、社会の全体を理解するに必要なのである。
 だから、世の中で実際にどういうことが起こっているかを、注意深く見る習慣を持っていなければならぬ。日常の事象を問題にし、解答しうる能力が、学問をすることから出てこなければならぬ、また学ぶことがこのようにして、高く広い意味で社会的実際的に役に立つものになる。だから新聞のあらゆる面に注意しなければならぬ。世間話の中にすら学ぶべきことはころがっている。
 ただ、新聞の記事や世の中のうわさの中には、きわめて多くのあやまりがあるし、意識的な宣伝があるから、ここではやはり、聞く耳、読む目をみがくつもりでいなければならぬ。同時に、われわれの学識が豊かになると、このような耳や目ができるのでもある。
 かくして、学ぶものにとっては「すべては疑いうる」という精神が本質的な重要さを持つ。それは、納得のいかぬことがらにはつねに疑いをもつことである。もちろん、われわれに納得がいくということは、そのときのわれわれの学問的能力によることでもある。われわれは、そのときわれわれの持っているもので、新しい何かを判断する以外に仕方がない。われわれの知識が高くなれば、先に納得できたものが納得できなくなり、先に納得できなかったものが納得できるようになる。ただそのようなすべての場合に、つねにすべては疑いうるという精神が貫いていなければならぬ。
 学ぶものにとっては、今正しいと思っていることが、明日は正しくないことを発見しうるという反省がともなっていなければならぬ。つまり、われわれの知識はたえず発達するものであることを、いかなる場合にも忘れてはいけない。したがって、学問には絶対的な権威はない。神様のように、無条件にその前にひざまずかなければならぬものはない。誰がいったことでも、そのままで絶対的な権威を持つことはない。学問は、もちろん真実を追求するものであり、かつ真実を追求するものは、われわれのように具体的な相対的な個々の人間である。彼はあやまりうる。しかし、このあやまりうる「彼」をとおしてでなければ、真理には達しない。
 だから、すべては疑いうる、ということは、決してわれわれが真理に達しえないという、ニヒリズムではない。また真理はつねに相対的であると考える相対主義でもない。
 絶対的真理が相対的個人またはその集団によって明らかにされていかなければならぬということである。相対的個人を通してでなければ、不動の真理は実現されえない、ということの意味である。つまり、絶対的な真理に近づいていく無限の道程における心構えである。相対的個人を通して、真理が明らかにされていく以上、このような「疑いうる」精神が必要なのである。「疑いうる」ということは、かくして、学問を発展させる精神である。いわゆる批判的精神のことである。批判的精神なくして学問は存在しない。

3

 学校もまた階級闘争の外にはない。といわんより、今日では、独占資本の労働者階級にたいする思想攻撃の道具として、もつともよく利用されている。
 まず学校教育は、政治的中立のものであると宣伝することである。中立というなで、独占資本支配の現秩序を維持保存する努力がなされる。中立とは、現状を変化させないこと、もっと現状を保守的にすることを意味している。
 意識の遅れた労働者、農民、小市民、インテリゲンツィアに、教育が中立的なものであると思い込ませる努力がなされる。政治とは、われわれの日常生活の外でおこなわれるものとされる。社会の政治的諸問題は、われわれの社会の日常の生活とは関係ないのであろうか。たとえばNHKに「こんにちは奥さん」という番組がある。物か問題のテーマも手をかえ品をかえて行われる。牛乳の値段が問題にされる。これらの諸問題が政治と関係ないであろうか。物価問題の取扱い方に出席する「奥さん」たちが、物か問題の取扱い方を全然といっていいほど知っていない。あの場に出席する官僚や大会社重役に、みんないいくるめられている。物価をすべて中間商人の問題とされてしまう。たとえば、牛乳についておそらくこのように無知な「奥さん」方にとっては、これが、強力な独占資本の厖大な独占利潤の問題とは考えない。牛乳の独占率は、最も高く、雪印や森永で占められている。森永の社長さんか何かが、奥さんたちをまるめこんでしまって、口をぬぐって奇麗な顔をしている。
 企業の秘密は、官僚でも警察官でもあばくことはせきない。公正取引委員会は、独占資本の恥部をかくすいちじくの葉にしかなっていない。
 多くの夫人番組は、私には人を馬鹿にした番組としか受け取れない。テレビは、教育用の番組と称して、公平な顔をして「マイホーム」夫人たちをたぶらかす。物か問題は、小経営の中間商人たちの犠牲において、独占資本を擁護する。物かが上がるのは、中小零細経営の卸商や中間商人のせいであることになり、けっきょく、そこで働いている労働者をできる限り搾取することは忘れれられている。
 独占資本とたたかうには、勤労大衆が組織されなければならぬ。今日政治的な力になる外に、物かを引き下げる方法はない。物価は大きな政治的な問題であることを覚らせないように、世の中の仕組みの問題であることを忘れさせるためにテレビの教育番組はある。
教育は、ことに学校教育は、世の中の仕組みを教えない。国会だのその他の行政の機構は、中学、高等学校で教えないわけではない。しかし、表面をなでてみせるだけである。
 だから、大学生も、民主主義と自由を抑圧する本当の敵が、どこにいるかを知らない。大学教授が知らないのだから、無理もないといえる。
 新聞雑誌、ことに週刊誌は愚劣を極めている。何とかという女優が、何とかという男と結婚したとか、しなかったとか、何とかという女優と何とかという歌手は、なぜ結婚しないのかとか、誰と誰とが結婚したとか、デビ夫人がどうしたとか、そんな話題が、独占資本支配の矛盾かんがえないために人々を愚かにすることに努めている。
 この「奥さん」たちの小市民意識、ちっぽけな虚栄心に接触することを社会主義者は避けることができない。社会主義革命への道連れであるからである。「教育ママ」ぶりを、「マイホーム主義」を、あざ笑うだけではすます訳にはいかぬから問題は大きい。そのような小市民やインテリゲンツィアをどう教育するかが問題となる。この社会層に、直接に社会主義革命について説くことは、社会主義革命を恐怖させることであり、かえって彼らを社会主義運動から引き離すことである。
 しかし、彼らは、民主主義と平和についてとくことに耳を傾けることはできる。このことは彼らの社会層として可能だからである彼らの社会層としての限界内でできることであるからである。独占資本は、労働者階級だけでなく、農民階級はもちろん、中小資本、小市民層、インテリゲンツィア等々の諸社会層をいろいろの形態を通じて搾取し、または抑圧する。したがって、帝国主義の時代には、当然のことながら社会層のことごとくが、独占資本に抵抗せざるをえない地位にある。ただ、人々はここでまだ、ごく少数を除いて、独占資本の搾取と支配の諸形態と本質を知らない。
 世界の平和を脅かすものが、今日つねに独占資本の帝国主義的政策に起因することもよく知られていない。しかし、戦争によって、最も大きな犠牲を背負わせられる人びとも、これらの社会階級や諸社会層である。戦争は、こららの人々に最も嫌悪すべき事態としてうつることができる。
 しかし、彼らは、社会党の「非武装中立」には現実性がかけているという。なんとなしに武器がないと頼りにならないらしい。現代の日本にも、アメリカは味方であるが、ソ連は敵である、と思い込ませているマスコミと文部省の教育がある。しかし、もし仮に日本が、ソ連と戦う武力を持とうと思うなら、日本の全財政力を動員してもアメリカとの同盟をもってしても、日本歴史の滅亡となるだろう。戦争中日本の全財力が、武器と戦争に使われたとき、国民は文化と衣食住をの全部を軍部に奪われたことを思い出すといい。「奥さん」たちも「教育ママ」も、これをすべて忘れている。というより資本主義の「現実」を考える教育と能力とを失っている。この非現実的な思考を生み出すために、独占資本とその政府は、額に汗して働く人々とその家族を教育している。独占利潤を永遠にするためである。
 ある労働組合の学集会で、社会主義より資本主義のほうが自由であると発言した高等学校の先生があった。なるほど、エロ雑誌、漫画雑誌を勝手に出す「自由」はある。しかし、科学的に貴い本でも、儲けにならない本は、出さない「自由」がある。また現代社会の正体を明らかにする本は出さない「自由」がある。儲からんからである。われわれが、最も読んでもらいたい労働者は、お金がない。労働者に読んでもらいたい雑誌は、たとえば、わが「社会主義」の値上げをするにも、深刻な考慮を要する。明らかに損して出す出している雑誌でも、労働者を対象とする雑誌の値上げは大変なことである。真剣な論議の末に決定される。1冊150円の雑誌を200円に値上げすることを大会で論議しなければならない。その前に、中央常任委員会その他の論議を経なければならない。私は、このような種種の手続きを経なければならぬことを悪いといっているのではない。悪人は、われわれ労働者にとっては、ブルジョアジーである。悪い点があれば、それは、彼らの低賃金政策と高物価政策と、われわれが低賃金で我慢せざるを得ない組織力の不足である。
額に汗して働く者のこの不利益は、決定的である。労働者階級は、自由に本が買え、彼らの歴史的使命を覚り、本や雑誌が、自由に出したい。それができない。また、すべての働く国民は、乏しい部分しか、自身の意識の向上に割くことができない。
 そういう政策が、常にとられる。いわゆる体制的合理化である。さらに、その政策を堅持するための思想攻撃である。つまり、今日労働者と一般勤労者に加えられる一切の教育は、思想攻撃である。
 政府には、義務教育に神話を入れるという意見もある。これは、あまり保守的な思想攻撃であるので、少し拙劣である。そのうえに、今日の憲法のもとでは、神話に対する考え方がちがっている。神話が祭典の古俗であると言っただけで、大学の教授の地位を失った人もある明治時代前期とは、社会の事情が違っている。神道や神話が復活させられようとしているが、その威力は昔日の比ではあるまい。その裏に、軍部ファッショがあった時代と、軍部ファッショに今日のような国民の批判がある場合とは、大変な違いであり、これらの思想攻撃に対するわれわれの攻勢の自由が存する場合には、「ありしよかりし日」の夢を実現しようとするのは、少し虫がよすぎ先見の明がなさすぎる。
 私は、われわれに反攻の自由が存在するといっているのであって、油断は禁物であるこというまでもない。この反攻の自由を縛らないことが重要である。「民主主義と平和」がいかに必要であるか、説くまでもない。「こんにちは奥さん」や「教育ママ」や「マイホーム」的小市民にたいして、民主主義と平和の教育を仕向けていく必要がある。終戦直後、戦争中の衣食住の困難は、この小市民層に対して、深刻な影響を与え、彼らをどんなに急進的ならしめたことを、今一度われわれが考慮しなおしてみることが大事である。独占資本による搾取と物価高騰が、この小市民層を結局、労働者の側に押しやることもありうることに充分の配慮が払われなければならぬ。
この社会層にとっては、教育は、子弟の「出世」の手段としてしか受け取られていない。この「出世」の光明が、独占資本によって消され、絶望と化するとき、自力に頼り得ないこの社会層が、労働者階級の組織された力に反感を抱きつつ、しかし、この力に依存する傾向を持つことは争われない。したがって、労働者階級の社会主義政党は、これらの諸社会に影響力を持ち、反独占勢力の一翼とすることが可能でありこれを実現しなければならぬ。いいかえれば、社会主義政党は、日教組を媒介として、これらの中間諸社会層を掌握しなければならぬ。社会党の教育運動の中心を日教祖におかなければならぬ。
 教育活動、ことに義務教育におけるその思想は、いうまでもなく社会党が指導しうるものとならなければならぬが、直接に社会主義を目指すものであってはならない。労働者組織としての日教組の究極目標が、社会主義社会の実現として指導されなければならぬことはもちろんであるが、直接に社会主義を目指すことは不可能である。したがってまた、小中学校生の教育の思想も、直接に、科学的社会主義、またはマルクス・レーニン主義を理解させることにあってはならない。そのようなことは、不可能である。語録暗記的な教育になってはならない。
  マルクシズムの世界観は、歴史の流れの中にあって、人類の自然および社会に対する理解の進展を土台にするものであるから、幼い頭脳の発達とともに、徐々に接近していくほかない。社会主義の思想が正しいからといって、いっきょにここに迫る方法はない。義務教育は、生徒の成長とともに、社会主義の思想を受け入れうる柔軟な教育である。海綿が水を吸うように、正しい思想を吸い込む条件をつくることにある。それは、民主主義と自由と平和の教育である。
 また、われわれが、直接に義務教育の中で社会主義的教育をほどこすことは、今日、われわれの生きている社会の性質を忘れた機械主義である。このことによって、国民一般の反発を受け、小市民や農民を、われわれから離反させ、社会主義の前段階、社会主義に流れ込む思想的、科学的根拠を流失させることになろう。これは、われわれの目指す社会主義社会への道を、かえって閉ざす事になる。マルクシストは、すべての発展の正しい道は、マルクシズムに通ずることを確信してよい。あわてふためいて、社会主義を説く必要はない。すべてに順序がある。
 ということは、日教祖の組合員が、社会主義者、マルクシストでなくてよいということではない。学校教師が、正しいマルクシズムの理解をもたなくてよいということではない。学校教師が、マルクシズムの思想を持ち、正しい社会主義政党の支持者であればあるほど、柔軟な教師となる。生徒を社会主義の思想に柔軟についてくるように育てるには、われわれ自身が、教師自身が、確信ある社会主義者でなければならぬ。マルクスの思想が、惻惻として人の心をうち、これを捉えることは、彼の生涯が17歳のときに書いた作文どおりであったことによる。マルクシズムの説得力は、その創始者たちと、彼らにつづいた多くの社会主義者たちの優れた知能によるのみでなく、彼らの政治的能力によるのみでもない。彼らの人間性による。彼らの行動力による。彼らの確信ある、誠実な人柄にもよる。彼らは、勤労者の心を捉えうる心を持っていたのである。心から出たことでなければ、心をとらえることはできない。教育とは、児童の心をとらえ、父兄の心をとらえることである。