2 社会を発展するものとして理解する
社会科学というものはどういうものか、という問題は、さほど簡単に答えられるものではない。しかし、自然科学が自然の総合的研究を企図して、その各側面を研究する専門を持つものであるとすれば、社会科学も、社会生活の全面的研究を企図すると同時に、各側面について専門が生まれる。したがって、社会生活の基本的法則が、社会生活のあらゆる側面にどのように自己をつらぬいていくかをきわめることによって、社会生活についての体系的な知識を構成していくことができる。
それだけではない。あとにのべるように、社会は発展するものとして理解されるべきものであるとすれば、こうした発展は、人間の発展であるほかないのだから、人間は、主体として、社会をどうして変革するかということも、科学的思惟の対象となりうる。このことは、決して科学的思惟がいわゆるゾルレンの科学となることを意味しない。なぜかというに、社会的存在の必然の法則は、人間の自由として現れるのであって、自由と必然とは、この節でのべるように、ゾルレンとザインのようにおたがいに峻拒しあうものではないからである。
すべては流転する。しかし、常に同一のしかたで流転するのではない。自然と社会とでは、この流転のしかたがちがっている。人間の「歴史」が始まって今日にいたるあいだに、自然は変化しなかったものとして取り扱いうるが、社会は大変な変化をしている。自然と社会との変化は、その時間的尺度をまったく異にしている。この相違はたんなる量的相違ではなく、法則の質的相違である。事実、社会は、独自の法則をもっている。
社会生活は、太古から今日にいたるまで変化をしてきている。穴をほって、その上に掘立小屋を作って住み、石器で魚介類をとって食った時代から、今日の鉄筋コンクリートの家に住み、汽船で魚類をとらえ、アメリカ大陸で飼育された動物の肉を、大きな汽船で運んで、日本で食う時代に変わっている。鳥を見て太古の人間も飛ぶ夢を見たかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチすら鳥にならって飛ぶ方法を考えてみただけに終わっているが、今日では鳥よりも自由に遠くまで空を行くことができる。
田山花袋の「東京の三十年」は、大正の初めの日本の空にも飛行機がよちよちと飛ぶところで終わっているが、今日では飛行機できわめて完全に世界を一周することができる。それは原子爆弾を積んで、一大都市をいっきょに絶滅させることができる。太古の人間が夢想することもできなかった大都市が、日本のいたるところに展開しており、そこには電車、汽車、自動車が、めまぐるしく走り回っている。人の大群が蝟集している。
太古の人間を銀座につれてくることができたら、その食物、その建物、その交通機関、その通信機関におどろき、おそらくいっさいのものを理解しえまい。ただひとつ彼らに郷愁をそそるものは、婦人という婦人が、腕や胸や足をあらわに露出し、サンダルとかいうかかとや指の見える履物を履き、未開人のもっとも愛好した真っ赤な布をまとい、口唇も真っ赤に染めているさまであろう。ここにいたって、彼らは同胞に再会した思いをするであろう。しかし、彼らは、その服装と化粧が、文明人の苦心の考案になるものであることをきくならば、あきれるであろう。彼らには、資本主義文化がその頽廃を野生の追求としてあらわしているなどとは考えられない。が、いずれにしても社会生活の変化ぶりは驚嘆にあたいする。ただ、このように社会生活の個個の事象が変わっているのではない。社会の構造そのものも変わっている。
古代社会では、社会を存続させる生産階級は奴隷であった。中世では、農奴制があって、社会の必要とする生産をうけもっていた。近代の資本主義社会では、低賃金労働者階級がこれを行っている。このような生産関係のちがいによって社会の構造はちがってくる。社会構造がちがえば、生産されるものの分配のしかたもちがってくる。
社会が存続するためには、その必要とする物資が生産されなければならぬ。生産するということは、生産手段を持って人間が自然を変えること、すなわち労働することである。飛行機が飛ぶのは、人間が自然の法則にしたがって、これを変えたのである。このような人間労働が中止されたら社会は存続しない。米や小麦も収穫されないし、これを運ぶ汽車も動かない。ピアノもなければ、映画もない。バイブルもなくなれば、「善の研究」も読めない。顕微鏡もなく、ペニシリンもない。社会が存続し、文化が存続し、文化が発展するためには、それらの物質的土台が人間の労働によって作り上げられていなければならぬ。社会の存続と発展を決めるものは、人間の欲望を充足させる物質を作り出すに必要な労働の量が存在し、これが必要にしたがって、各生産部門に配分されることである。この労働の量を必要にしたがって各生産部門に配分するその仕方は、その社会が中世であるか、資本主義であるか、社会主義であるかにしたがってちがっている。
中世では領主の必要を中心として労働の配分が決められる。資本主義社会では資本の競争が 中、商品交換における価格をめやすとして資本を移動させて労働を配分する。社会主義社会では、社会成員を代表する中心機関の計画に従って、これをなす。社会主義社会を別とすれば、中世には領主と農奴その他、資本主義社会には資本家と労働者、その他の諸階級があることになる。
このようにして、物質的生産力という社会の存続を決定するものを中心に、いろいろの階級ができ、それらの階級が互いに結んだりたたかったりする。こうして、彼らの意識が成長し、それぞれの社会に応じた文化ができる。中世と資本主義の文化の性質の違いは、このような社会形態の相違と各階級の結合と闘争のしかたの相違からでてくる。
一定の社会形態のもとで発達しつつあった物質的生産に、従来の労働の配分の仕方では、適応しきれなくなると、このような配分の仕方が変化しなければならぬ。それは、たとえば、中世的なしかたから資本主義的なそれへ、さらに、資本主義的なそれから、社会主義的なそれへと変化することを意味している。このように社会形態が変わると、これに応じた考え方、人間の感じ方がちがってきて、思想や芸術が変わってくる。
要するに、社会を発展的に理解するということは、ただ、社会形態とその文化が変わってきたということを考えるだけではない。必然的な発展の法則をもって変化したことを意味する。その法則は、物質的生産力がふるい社会形態と矛盾し、新しい社会形態を要求するということである。ここでいいたいことはつぎのことである。社会の歴史は、このような一定の法則を持って変化する。階級社会についていうと、旧社会を作っている人間のあいだに、発達した物質的生産力を代表して、この社会を新たなる社会に移行させる人間ができている。そして、これらの人間は、旧社会を維持しようとする人間の勢力とたたかうことによって、次の社会を実現する。こういう意味で、社会の発展は必然的に行われるということである。だから、社会の発展は弁証法的であるというのである。
社会を発展するものとして理解する、とはこのようなことをいうのである。一定の社会が歴史的性質であるということも、このことにほかならない。
ただ、社会とその変化が太古から今日まで変わってきたということは誰でも感ずる。問題は、ただ変わったというだけでなく、どんな法則によって変わったかを知ることにある。たとえば、石器で食料をえることと、近代的技術によってこれをなすこととは、大変な違いである。しかし、ただこの変化を知ってだけでは、なぜ太古の人間の石器は利潤を生む資本ではなく、工場は、資本という経済的な特性を持つかを知ることはできない。石器と近代工場とが、おのおのもっている経済的性質は、これらの充用されている社会形態を知らなければ理解できない。
すべての社会生活の側面をとりあげて、社会科学の研究対象とすることができる。政治、経済、法律、芸術、宗教などがある。しかし、そのいずれも社会的人間の生産物として、一つの有機的な全体をなしているはずである。社会生産の歴史性ということは、同時に、社会現象のあらゆる側面の歴史性を意味している。社会科学を学ぶものは、先に述べたような意味で社会を発展的なものとして理解することが必要なのである。このことは、社会科学のどの部門を学ぶにも必要な基本的な考え方である。