ニュースの記事を見ていて、気になったことがあった。




 07年7月に北九州市で起きた保育園児熱射病死亡事件。この事件は、園外保育で外に出て行った際、点呼を忘れて、園児二人を社内に放置し、死亡させたとして、元保育士が業務上過失致死罪に問われているのだけれど、責任を持って預かっている以上、この元保育士の罪は重いと思う。




 けれど、それを報道するメディアが、その元保育士を実名で報道していいんかなって疑問に思う。罪は二人が問われるわけだけど、責任は二人だけにあるものだけでないし、彼女らの社会復帰を閉ざすものにもなりかねないと、思うんです




 先日も、ここで、奈良産大の不正受給の件で、なぜ、不正をした張本人が匿名で、加担したとされる監督、コーチが実名報道なのだと、訴えたことがあったけれど、ここらへん、マスコミの倫理はどうなっているのかなってすごく思う。保育士の件では、記事を書いた人の名前は書かれていないしね。




 僕らなんかでも、記事を書くときはほとんど署名を入れてもらっている。たまに、ボケた編集者が入れ忘れたりはするものの、基本的には署名を入れてもらうようにしている。だって、でないと、記事自体にも責任が持てないし、責任を持てない中で、影響力のあるマスメディアにいることはよくないから。




 昨夏の甲子園の大会速報号で、ある雑誌で「覆面座談会」が多くの批判を読んだ。ここは座談会は参加している人は顔も、名前も隠しているのに、批判をされるチーム、個人名は実名であって、それは卑怯だ、と。よく記事を書かせていただいている僕にも、色々言われた。あの座談会に参加したわけでもないのに…。2ちゃんねるにも「ひどい」と書かれていたのを見た。




 この件に関しても、僕も良くないなぁと思う。ある人が「あれを続けるなら、取材には協力しない」と言っていたのを耳にしたけど、ごもっともだな、と思った。




 ジャーナリズムに携わる者、世論に大きな影響力を持つものとしては、実名報道と署名記事、これについては責任を持っていかなくちゃいけないなぁ、と思う。




 それにしても、元保育士の実名報道。「手紙」っていう東野圭吾著の書籍を読んだ人は分かると思うけど、こういう事件での実名報道には、いささか、疑問を感じずにはいられない。罪は罪として、罰せられるべきだけどね。