遠藤周作が作った言葉であろう。
「善魔」
もちろん、「悪魔」に対する「善魔」である。
「私は、悪をやることも実にムツかしいが、
逆に、善をやることもかなりムツかしいと考えるようになった。」
「私のような小人物には、大悪をやるには努力と勇気がいるものだから、
今日まで小悪は積み重ねても大悪には、手を出さなかった。
小心、臆病も役に立った。」
「しかし、逆に善いこととなると、それは意外と努力なしに感情だけでやれるもの だ。
しかし、感情につき動かされて行った愛なり善なりは、相手に
どういう影響を与えているか考えないことが多い。」
「善や愛が、相手にとって有難迷惑な時だってある。
それなのに、当人はそれに気付かず、
自分の愛や善の感情におぼれ、
眼くらんで自己満足している。
こういう人を「善魔」という。」
「原因は二つ。
ひとつは相手の心情に細かい思いをいたさなかったこと、
もうひとつは自己満足のあまりに行きすぎてしまったこと。」
「だから、過ぎたるは及ばざるがごとし、とは明言である。」
『生き上手、死に上手』より
まずは、このレベルまで善は行えないので、
私には、まず、善を行うことが先である。
ただ、愛に関しても当てはまるのなら、
人を愛することも相手の気持ちを考えなければ
相手にとって迷惑な場合もあるわけだから、
「善魔」になっていたかもしれない。
愛が悪いということはないので、
一方的な愛に行きすぎがちになる傾向にある。
ただ、愛と恋とも違うので、
一方的な思いなら「恋」で、「愛」ならもっと深いはず。
相手に迷惑になることは、普通はない。
ここで重要なことは、「愛」であっても
過ぎたるは及ばざるがごとしだということである。
「善魔」
もちろん、「悪魔」に対する「善魔」である。
「私は、悪をやることも実にムツかしいが、
逆に、善をやることもかなりムツかしいと考えるようになった。」
「私のような小人物には、大悪をやるには努力と勇気がいるものだから、
今日まで小悪は積み重ねても大悪には、手を出さなかった。
小心、臆病も役に立った。」
「しかし、逆に善いこととなると、それは意外と努力なしに感情だけでやれるもの だ。
しかし、感情につき動かされて行った愛なり善なりは、相手に
どういう影響を与えているか考えないことが多い。」
「善や愛が、相手にとって有難迷惑な時だってある。
それなのに、当人はそれに気付かず、
自分の愛や善の感情におぼれ、
眼くらんで自己満足している。
こういう人を「善魔」という。」
「原因は二つ。
ひとつは相手の心情に細かい思いをいたさなかったこと、
もうひとつは自己満足のあまりに行きすぎてしまったこと。」
「だから、過ぎたるは及ばざるがごとし、とは明言である。」
『生き上手、死に上手』より
まずは、このレベルまで善は行えないので、
私には、まず、善を行うことが先である。
ただ、愛に関しても当てはまるのなら、
人を愛することも相手の気持ちを考えなければ
相手にとって迷惑な場合もあるわけだから、
「善魔」になっていたかもしれない。
愛が悪いということはないので、
一方的な愛に行きすぎがちになる傾向にある。
ただ、愛と恋とも違うので、
一方的な思いなら「恋」で、「愛」ならもっと深いはず。
相手に迷惑になることは、普通はない。
ここで重要なことは、「愛」であっても
過ぎたるは及ばざるがごとしだということである。