母の正式な病名は「直腸がん」でした。
レベルはIIIaで進行がん
私が電話などから家族から訊いて思っていたのよりもはるかに重い症状でした。
それがわかったのは手術前日の医師からの手術内容にかんする説明のときでした。

私はキノコ状のポリープが癌化したものを想像していたのでしたが、術後医師が家族に説明する為にみせてくれた摘出した癌の患部は、腸内の一部分が4センチくらいの長さにわたって赤黒くびらん状になって腫れ、腸を塞いでしまう程に盛り上がっていました。
あと少しで腸閉塞をおこすところだったようです。
ネットでみた大腸、直腸がんの患部の写真そのものでした。
摘出したのは直腸からS字結腸にかけてで、長さは20センチくらいありました。

術前の検査では肝臓への転移はなく、術中の目視では、膀胱、子宮、腎臓への転移も認められないとのことでしたがリンパ節は摘出してしまわなければなりませんでした。
この部分を術後検査した結果、場合によっては抗がん剤治療が必要かもしれないということだろうと思います。
幸運なことに人工肛門は免れました。

手術は無事終わったけれど、まだまだ安心してはいられないということのようです。

手術の日程の設定が早かったのは
「年内に気になる患部はとってしまって、安心して新年を迎えましょう」
とは上手い表現で一日も早い手術が必要だったということのようでした。
日頃より母が
「もしも癌になったら、癌センターで治療をうけたい」
と口癖のように言っていたものだから、妹も私も癌センターも受診してみた方がよいのではないかと心配したのですが、不安を感じつつも押し流されるようにではあったけれど早く手術を終えたことは、結果的には正解だったといえます。

ここで妙に深刻な表現をつかわれて、手術以外に方法を模索したくなっていたり、医師に対して不信感をもってしまっていたら、私たちはセカンドオピニオンを求めて手術の日程をおくらせてしまっていたかもしれません・・・ここの時点での判断は本当にむつかしいなあと、痛感しました。
家族は最善の治療を受けさせてあげたいと強く願うものなんですよね。
そして患者本人は、冷静さを失って目の前の医師にすがりつきたい心理状況におかれるようなのです。

ここで良い医師に巡り会えていたことは、母のもつ強運によることがおおきいのかもしれません。