感想文 | ミックスココアのひとりごと

ミックスココアのひとりごと

気ままに思いついたことを折々に

ブログしばらくお休みさせていただいて

このところ1週間、6科目の

通信教育のレポート、一生懸命取り組んでおりました。

で、前回読後感想分書かなきゃって記事書いてました

民俗学の感想文

「民俗学観点から」って条件付きの感想文も

なんとか書きました。

応援コメントもいただいたので、

要約してご報告させていただきます。

長いですよ~

全部読まなくてもいいですよ~

「木のいのち木の心(天)西岡常一著を読んで」

西岡常一氏は

棟梁として、法隆寺の解体修理、

法輪寺の三重の塔の再建、

薬師寺の金堂をはじめ

西塔、中門、回廊など薬師寺伽藍の再建に携わった

宮大工です。

数々の棟梁としての実績を

残した宮大工ではありますが、

しかしそれは、

宮大工としての口伝を頑なに守り通して

赤貧に耐えた生活の上に

成り立つものでもありました。

「宮大工は一般大工の仕事をしてはいけない。」

この教えを守り、

一般大工仕事の方が稼ぎが多いのにも関わらず、

その仕事に一切関わることなく、

宮大工としての仕事がないときには、

祖先から引き継いだ土地を切り売りして生活し、

あくまでも宮大工としてその生涯を捧げたのでした。


法隆寺の鬼と呼ばれ、

一途に頑固なまでに、

古の匠の技を追求し続け、

その生き様や仕事への情熱、

そして、後進を指導するその人の育て方が、

多くの経営者の共感を呼び、

伊藤忠商事会長丹羽宇一郎氏をもって

「どんな経営書より私にとっては価値がある」と

言わしめることになったのです。

ところで、

この西岡常一氏が

棟梁としてその解体修理に取り組んだ法隆寺は、

世界最古の木造建築で、

飛鳥時代の工人達の叡智の結晶であり、

釘を一本も使わず、

1,300年間、

建築当時の姿を保っている

日本が世界に誇るべき文化遺産です。

その技術と共に

宮大工としての生き方や考え方にとどまらず、

日本の文化、木への思いを通じて

日本人の心のふるさとの在処と

その所以をも教えてくれます。


木の心を知り、

木の命を生かすにはどうすべきかを通して、

仕事に対する心構え、気構えを諭し、

真摯にその道一筋に生きてきた匠の言葉が、

単に宮大工の建築論、環境論にとどまることなく、

現代社会の中で日本人として失いつつある、

その精神文化のあるべき姿を思い起こし気づかせ、

考えさせてくれるものでした。

西洋の文化が石だとすれば、

日本の文化は木でした。

古代神話の時代に

高天原を追われた須佐之男命が

川上から流れてきた木の箸を拾い上げた時から、

既に木は生活の中の必需品だったわけです。

今でこそ金属やプラスチックの箸が

作られてはいますが、

箸という道具として、

長い歴史の中で日本人は毎日毎日、

木を持ち掴んで使ってきたのです。


世界の多くの国々で

ナイフとフォークが使われている中で、

日本の木の文化のルーツは箸だったのかもしれません。

植物としての木から、

材としての木へ加工はしても、

なおそこに命を脈々と吹き込み、

樹齢1,000年の木から、

更に1,000年木材として使うためには、

木の心を知り抜いてこそ

初めて可能となる技なのです。


曰く、

木は人間と同じで1本づつが全部違うんです。

それぞれの木の癖を見抜いて、

それにあった使い方をしなくてはなりません。

そうすれば、

千年以上持つ建造物ができるんです。

これは法隆寺が立派に証明してくれています。」


なんという重い深い言葉でしょう、

時代を超え、世代を超えて

技が受け継がれて、

日本人の文化としての

木への畏敬と思いの結晶である

「法隆寺」が、

今、凛として目の前に建っているのですから。

口伝に曰く

「諸々の技法は一日にして成らず、

祖神たちの神徳の恵なり、

祖神忘るべからず」


日本人の心の原風景がそこにはあります、

最古の木造建築物を通じて

私たちに語りかけてくれているのです。


この長い文章を、

最後までお読みいただき

本当にありがとうございます。

お読みいただいたことに感謝申し上げます。