「おい、待て。今何を拾ったんだ?」
警察官は大声でその老人を呼び止めました。
「いつも何かを拾い歩いてるのを
本官は知っているぞ。
ポケットにしまい込んだ物を見せてみろ。」
警官はさらに強くその老人に迫ります。
老人は答えました。
「別に金目のものではないです・・・」
「何でも良い、見れば分かる!」
「見せるほどのものではないですよ・・・」
「ますます怪しい奴だ。職権で確かめるぞ!」
馬鹿にされたと思って怒った警官は、
そう言うなり、
いきなり怪しい老人のポケットに手を突っ込みました。
しかし、その老人のポケットから出てきたのは
警官が予期しないものでした。
一個のガラスの破片でした。
子供でもないのに、割れたガラスの破片を大事そうに拾って、
この老人は、気の毒に頭がおかしいのではないか、
そう考えた警官は、
語気を緩め、優しい口調で尋ねました。
「何だね、これは?こんなものをどうするつもりだね?」
すると、老人は答えました。
「どうするわけでもないんです。こんなものが落ちていると
道路で遊ぶ子供達が怪我をするかもしれないから・・・」
老人の、その静かな言葉の中に
子供達に対する限りない愛情が滲み出ていました。
警官は全てを察しました。
最初は不審な行動に大声で見とがめた警官は、
姿勢を正すと丁寧に詫びました。
「大変失礼をいたしました。
本官の誤りです。どうかお許しください。」
この老人の名は、
ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチです。
スイスの片田舎で
孤児や貧民の子などの教育に従事した
教育思想家です。
世界中の教育思想のの原点であり
教育界に名を残す多くの人が
その影響を受けた、
まさに教育の礎ともいうべき人物です。
当時(1800年頃)の慈善施設では
パンを与える活動をしていました。
しかし、ペスタロッチは
パンを与えてしまっては、かえって子供達を
堕落させてしまうと考えたのです。
「パンを与えることではなく、
パンを得るために必要な知識や技能を
子供達に教えていくことが大切だ」と考えたのです。
自分で生活を支えていく、
自活していくために必要な能力を
育てていくことが重要だとしたのです。
68歳のとき、彼は重病の身をおして
プロシア王を訪問しました。
衰弱した身体を気遣い、弟子達は
訪問を中止するように勧めました。
しかし、ペスタロッチは毅然と初志を貫いたのです。
「私は王様に会わねばならない、
例えそのために死んでも。
王様にお会いすることによって、プロシアの子供が
わずか一人だけでも、
今よりよい教育を受けられるようになるのであれば
私は充分に報いられるのだ。」
ペスタロッチの墓碑にこう刻まれています。
1746年1月12日 チューリッヒに生まれる。
1827年2月17日 ブルックに没す。
(略)貧民の救済者
民衆への説教者
孤児の父
新しい民衆学校の創設者
人類の教育者
(略)
おのれを捨ててすべてを他の人のために為す!
彼の名に祝福あれ!
1月12日は
ペスタロッチが生まれた日です。