こんばんは。
今日から、12月が始まりましたね。
頭では、「え~?もう今年が残り一ヶ月なの??」と思うのですが、なんだかまだ実感がわきません。
体感的には寒さが増し、いよいよ冬がきた~という感じで、ちぢこまってしまいがち。
意識して、温めケアをしていきたいです。
前回、地震をきっかけに自分の内側に目を向ける必要に気づいた、と書きましたが‥・
今もはっきりと覚えていることがあります。
地震の直接的な恐怖や、ショックが少しずつ和らぎ、状況が落ち着いた後も、私の中でずっと苦しさを感じていました。
すごく落ち込んだり、悲しかったり、イライラを感じたり。
危機から脱したと感じたときに、いろんな感情がでてきたり、体調不良になったりする可能性があることは知っていましたが、ずっと苦しいのはなんでだろう、と思っていました。
その当時、私は散歩を日課にしていて、その時間に、とても癒されていました。
たいていは気分転換になったのですが、ただぼーっとしていると、時たま強い感情が沸き上がるときもありました。
最初、ただ抑えようとして苦しいだけだったのですが、あるとき抑えきれずに、その感情を味わったのです。
そして、とても愕然としたのを覚えています。
それは、私が小さい頃に感じていた、すごく傷ついて、泣きたくなるような、叫んでいるような、とても強い感情のエネルギーでした。
しかも、今のものではなくて、その当時のものです。
普段は全く思い出さず、それがそこにあることすら忘れていたのにも関わらず…
その叫びのような傷ついた感情は、生々しいエネルギーとして、今までずっとそこにあった、ということがはっきりわかりました。
なくなった、と思っていたものが、フレッシュなまま冷凍保存されて、ずっとそこにあった。。。
まったくなくなっておらず、時を超えて存在していた、ということに愕然としたのです。
何らかのきっかけで、でてきたのでしょうか。
苦しいと感じる、その下に、様々な感情があるような気がしていましたが、そのあまりにも生々しさに、私は驚いてしまいました。
今はもう感じない、と思っていても、自分のなかから、なくなったわけではないんだ。
それを実感した出来事でした。
その後、ある臨床心理士さんとお話する機会がもて、その時の体験や、地震後感じたことや、思いを話してみました。
すると、すごく深いレベルでお話を聴いてくれたように感じました。
その時の私は、まるで重いスーツケースを2,3個いつもくっつけているような状態、で、それは、私がどこにいっても、何をしても、ずっとある、と表現されました。
場所を変えても、付き合う人たちを変えても、私が私である限り、変わらずそこにある重いスーツケース。
それがあるだけでもうへとへとで、何かをする力がもうほとんどないように感じていたのですが、その表現は、とてもピッタリだなぁ~と感じたのです。
この重苦しさは、場所や、人ではない。
自分自身の中にあるものなんだ。。。
とはいえ、このまま苦しいのは嫌だと思った私は尋ねました。
「じゃあ、このスーツケースは、どうやったら離れるんですか?」
すると、その臨床心理士さんは、
「すぐにはどうこうできないかもしれないけど、たまにとりだして、眺めてみるといいのかもしれません。」
というようなことを言われたのです。
が、私はその時即座に思いました。
“いや、無理!このまま生きるのは苦しすぎる!”
今なら、わかるのです。
その方がおっしゃることも・・・
確かに、たまにとりだして、みてみる、眺めてみる、というのも、すごくいい接し方だと。
でも、苦しみでいっぱいいっぱいになっている当時の私には、できませんでした。
あまりにも、抱えている荷物が多すぎたのです。
それを眺める余裕なんて全くなく、ただただ苦しみに引っ張られていたのです。
スーツケースは比喩ですが、国内用の小さいものではなく、海外用の大きなスーツケースをイメージしてください。
それが、どこに行くにも、何をしても、ずっとくっついている。
しかも、数個・・・重くて、重くて、たまりませんよね。
そのとき、私はその、“目に見えないけれども、私にくっついているだろうスーツケース”をどうにかする方法を探そうと決意しました。