認知症の治療を始めてから、少しホッとしていた私でしたが、母の中では 新たな服作用との闘いが始まったに過ぎないのかもしれません。
お中元のやり取りのお礼の電話を受けても、相手が誰かわからない状態になり 不安になった母が病院へ行くと言いはじめました。
確かに記憶に関してだけいえば、悪くなっているかもしれません。
ただ 以前のように、血圧の薬のせいで 動けなくなっているわけでもなく、脳の血流を良くする薬の服作用で 多少感情の起伏が激しくなっても、私が適切な対応を出来ないでいただけ と思っていました。
結局のところ、すべてが「薬に生かされている」範疇のことであって、「母の人生」自体は 医者にも私にもどうにも出来ないこと、と思い知らされるだけという気がしています。
そういう人生を見届けるまでの義務は 私には無いですし、やはり夫婦の間で支え合う状態を見守り、私の今後に役立てる。
私もその範囲を超えないことで、私を維持できる訳ですからね。
今日はひとまず、久しぶりの休みの日中を母の病院のお供で過ごすのか?
母が起きてからの様子如何ですね。
病院へ行くのであれば、元々母が1人で出掛けていたように バスで出掛けてみようかと思います。
元々歩いていた道を辿りながら、どんな記憶を辿れるのか?
断片でも、記憶が戻ることで 安心して過ごせたらいいなと思います。

みわのりんご