こんにちは。

美らくる堂 夢ほどき案内人

十川美和子です。

 

 

初夢をほどいて、どうメッセージを感じ取るか?受け取った宝をどのように活かしていくか?その実例として、私が昨年見た夢にまつわる話を書きました。

 

その夢は、2021年1月24日に見ました。前の年の年末から1月24日までのできごとと合わせて、お読みください。長文です。

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

〔以下は、夢を見た2021年1月24日の文章からの抜粋〕

 

2020年末。30~31日は、新年に向けておせち作りに励む。31日は昼間に、檀徒になっているお寺に除夜の鐘をつきに行く。

 

元旦。5時半ごろ起きてお雑煮の具を煮てから、初日の出を見に母校の小学校裏へ。15分ほど歩く。思いがけず、お客様である母娘さんに出会え喜ぶ。日が出て7時過ぎまで写真を撮る。

 

家に戻り、お屠蘇、お雑煮、おせち料理をいただく。これをこころゆくまで堪能するために、年末にがんばったのだった。その後、産土神社に初詣。これまた思いがけず、知人のAさんと出会い驚く。

 

帰り道(家まで15分ぐらい)に、身体が急激に重く感じて歩くのがやっと。家に着いてすぐ寝床に入る。寝床の中で、YouTubeでk-popのライブ、藤井風のライブ配信を見る。

 

翌日の2日から4日ぐらいまでは、最低限の家事をする以外は寝て過ごす。身体の機能が低下した感じ。この時期はたいてい、年末の疲れが出て引きこもったり寝て夢を見たりして過ごすので、私にとっては通常運転である。

 

が、なぜ、ごちそうをたらふく堪能する、元気で楽しく静かな3が日が、今年体験できなかったのかが不思議だった。そして、気づいたのが…50年近くは持ち続けて来たであろう、年末年始&正月にまつわる嫁や子供の立場での、休みなく立ち働かねばならないことへの被害者意識だった。

 

いわゆるコロナ禍で、人寄せもない、お年始参りもない、気遣いしなくてよい、静かなお正月を楽しもう!という思いを昨年末から持っていた。それは、すなわち、過去への復讐(リベンジ)の思いに外ならなかったのだ。

 

復讐だもんね…そりゃ、そんなものが心にあったら重くなるわ、心身が。聖霊さんお願いします、そのいらない重い思い預けます~。

 

1月3週目から、びわきゅう仕事始める。その週末は、自己メンテナンス&美容院。都内に泊まる。ホテル室内に切り花を飾り、デスクで奇跡講座のテキストを精読する。コースの世界をたっぷり満喫できる贅沢な時間の過ごし方。

 

新年の「復讐」的なものの気づきもあったしね…今年こそは、テキストの記述をイエスと心で対話しながら理解したい。

 

それと、何らかのお知らせ的なものを感じない限りは、じっとして動かないことに決めた。自分が、「こうなると幸せ」と想像しているものの斜め上を行く幸せを、受け取りたいから。

 

都内への行き帰りは、空いているJRのグリーン車で。用事と食事の調達以外はホテルを出ないし、人と会う約束もしなかった。

 

必要を感じて帰りがけに、ある香水売場へ。後日知人の香水を選ぶための下見でもある。

 

イギリスの香水をいくつか試しているとき、お若い男性スタッフが、アガサ・クリスティに言及した。実はこの歳になっても、私はアガサ・クリスティの小説も映画も未体験。これは、メッセージっぽい。

 

先に何があるかわからないけれど、香水をより深く味わうためにも、小説を読んでみるのはおもしろいかも。この3日ほどで「オリエント急行の殺人」と「そして誰もいなくなった」を読んだ。

 

その間に、友達からご縁をいただいた方とオンラインで、夢の話をした。ここ何年か夢のセッションはしていなかったけれど、後日、夢とのつきあい方のコツをつかむセッションをさせてもらうことになった。

 

そのセッションを楽しみにしていると…印象的な夢を見た。

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

〔以下、夢の記述〕

 

 

浴室の天井裏に、30㎝幅ぐらいの水槽がある。その幅いっぱいいっぱいの長さの魚が2匹、じっとしている。これは故人である父が育てていたものらしい。

天井裏から、浴室の外の目の高さの棚に下ろす。トビウオのように目の大きい魚が口をパクパク動かす。息苦しそう。傍らの窓を少し開けると、その隙間から一匹がぴょーんと外へ飛び出る。

屋外の、隣家との境の塀の手前に、雨どいほどの浅い溝がある。飛び出た魚はそこに横たわる。

溝の水は少ない。魚が干上がってしまうのでは?大きい水槽を用意し、そこへ移さなければと思う。

水槽の中で瀕死状態に見えたもう一匹の魚も、いつの間に窓の外へ出て、地面に横たわっている。

魚たちを拾い家の中に持ってくる。2匹とも息絶え絶え。水槽に入れようか?と考えている。魚たちを置いて、いったんその場を離れる。

魚たちの様子が気になって戻ったら、隣の部屋で、姉の家族が座敷で焼いた魚を食べている。「魚があったから焼いた♪」と、姉はあっけらかんと言う。

その座敷は次に、母方の祖父母の家の座敷になっていて、親戚や知人が集まっている。

床の間の位置にガスコンロがある。10代の男の子が、自分の魚を焼きながら、皆が食べている様子を満足げに眺めている。

いつの間にか、2匹の魚は増えていたのだ。



キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

〔ここから、夢ほどき&背景解説〕

水の中で生かして、父が遺した魚をさらに育てなくちゃと思い込んでいた私。「魚があったから焼いた」という姉のシンプルな行動に驚きながら、なるほど!と、目からうろこが落ちた。

父が育てた魚を生かす方法は、大きな水槽に移すことではなく、焼いてみんなで食べることだった。

魚は、イエス・キリストの象徴。「2匹の魚」については、検索で調べたところ、聖書の、マタイによる福音書14章に「イエス・キリストが5つのパンと2ひきの魚を5,000人に分けた」という記述があるらしい。

なるほど、2匹だった魚が増えたのは、そういうわけだったのか。

水(無意識、夢)から揚げた、魚(心の糧、聖性、キリスト)を活かすには、生きたうちに焼いて(火で顕在意識に上らせて)振る舞って、皆で分かち合い美味しく味わう。それが最高の活かし方。

魚を焼く10代の男の子は、8歳で父親を14歳で母親を亡くした、中学生の頃の父ではないかと思う。親の死後は住む家は無くなり、兄弟姉妹と親戚を転々とまわる不安な日々を暮らしていたという。

家がないので入ったという自衛隊に勤めていた時、母と出会い23歳で結婚し、祖父母を親として敬っていた。だから父にとっては、家を持ち家族を護ること、または家族のような人たちを護ることが、なによりも大事なことだった。

生前の父も祖母も、にぎやかな人寄せが好きだった。料理をふるまい、みんなが笑顔で楽しそうにしているのを見るのが、大きな喜びだったのだと思う。今は、年末年始のアレコレに制約がないことを喜んでいる私も、父と祖母と同じ思いは受け継いでいる。

私が本当にしたいのは、お正月にまつわる「復讐(ふくしゅう)」ではなく、「祝福(しゅくふく)」だったのだ。

夢に出てくるものや人はすべて、自分の中の何かを表す。窓からぴょーんと飛び出たトビウオも、私。コロナの自粛生活から飛び出て、外で活動したいという思い。

肉親である父の聖性を受け継ぐこと。神である「父」からの賜物を、神の子であるきょうだいたちとシェアすること。すなわち、奇跡のコースに関する何らかの活動を始めること。今年2021年は、それを実現したい。

ちなみに、『天国から離れて』ケネス・ワープニック著(中央アート出版社)第1章29~30ページにかけて引用されている、ヘレンさんの「彼はひとりで寄る辺ない我が身を嘆いていた」という創作の中にも、鳥になりたい魚に自分の羽(ヒレ?)を貸すトビウオが出てくる。


キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

そして、2022年1月の今現在は。

春からブログ「ゆめのきせき」でお付き合いをしていただいた加藤雅子さん、晋さんご夫妻に釣りあげられて?Jesus女子会に入り動画にまで出ました。そして、このアメブロもリニューアルしました。

 

そのようにして、年初の願いを胸に家に籠っていたトビウオがぴょーんと外に飛び出ることができた、という理解でおります。ほんとうに、ありがとうございます。

 

 

YouTube  Jesus女子会3

 

 

 おねがいご参考「ゆめのきせき」ブログ企画、決断のためのルール練習

 

 

美らくる堂

夢ほどき案内人

十川美和子