雑草は生える場所に生えるべく、生えてくれている。本来ならばその場の環境状態に合わせて自然に生えるんだろうが、人間により外来から運ばれて来たり人工物埋められたりして不自然な状態になっている。
それでも健気にそこに合う環境、土に合わせて少しでも土を甦らせようと生えて来てくれている。
雑草さえも生えることができなくなってしまった悲しい土もあるけれど…。
その健気な命を、見た目重視や人間の都合ジャッジで薬をまいたりゴミ袋行きにしたり…。
落ち葉や雑草にも素晴らしい役目がある。
ゴミなんかじゃない。
雨や日光など自然にさらされるスペースと7〜8ヶ月あれば微生物の力を借りて自然堆肥(腐葉土)ができる!
石灰でなく炭でも良いかなと思う。
腐葉土や炭の働きで、土の物理性、生物性をよくできる。
その土の栄養が乏しいならば、牛糞など有機物を発酵熟成、堆肥化させて土の栄養にしたらいい。
すぐに成果を出すとか、一般受けする地上の見てくれ重視を求められたら失格と言われてしまうけど、やっぱり土台である土は大事だ!!
とこの1年半の失敗連続で痛感。
時間と焦らない気持ち、比較しないとか忍耐力が必要だってつくづく思う。
でもやっぱり、人間のジャッジで雑草と言われてる草たちの命。プラスチックの袋に入ればゴミとして配送され燃やされる。
人間たちがさんざん荒らして来た環境のためにそこに健気に生えて来てるのに。
微生物たちの力を借り、循環させていくことこそ健康的で真に美しい空間つくりなんじゃないかな。
目に見えている部分が綺麗なことが環境美化ではないよね?
見えてない部分にこそ美しさがある。
その目に見えてない部分に生きている力、微生物や発酵の力があり、私たちが生きれているということを知り、その力の素晴らしさ、知恵を実践、受け継いでいくことこそがサスティナブルに繋がるって、わかっていても中々できないという事を今一度何でそうなっているのか?ちょっと考えてみる時間を分かち合いたい。
すぐに破れてしまうプラスチックの使い捨てゴミ袋に落ち葉や草を入れてトラックで焼却場行きになっているのは何故か?
そうではなくネットや破れない袋に入れて水はけよくしたスペースに運び、山にして1年置く。
これこそが万能自然堆肥であり、生き物たち植物たちが居心地良い土=人にとっても心地良い環境に繋がる。
この循環、自然の分解プロセスの素晴らしさ、知恵を知ることこそがとても大切だと思う。
この素晴らしさを体験、実感できることを私は幸せだと感じているし、この喜びを分かち合うことがアグロエコロジーにつながっていくと信じている。
自分自身、焦りや見た目、頭でっかちなこだわり、周りとの比較とか…いろんな私の中の欲からの失敗を今実感してる😅‼️
でも雑草、植物たちはいつも健気に、物言わず毎日見守りながら環境、私をサポートしてくれている。
ありがとう╰(*´︶`*)╯♡