家の片付けしてたら、幼稚園や小学生の時に描いた絵が出てきました。
幼稚園の自分が初めて電車に乗った時の感情を描いた絵。
描いた時の記憶がみるみる蘇りました。
そうだった。
〜線路の石ころの絵〜
私は電車に乗る時、ホームから電車にまたいで乗るのがすごく怖かったんだ。
隙間から見えた、走り出してもずっとずっとある、あの黒くてゴツゴツ、ずらっと同じようなのが、しかもどこまでも大量にある!
それはそれは驚きました。
その怖いような、尖っていっぱいある、でも一つひとつ違う形なのに、ずっと同じように大量に並んでいる不思議な、あの石ころたちを見た時の驚きの感情を絵に表現したんです。
電車よりも、人よりも、石ころ!
それがすごく気になり、驚きと共に沢山の石ころたちを描いた。
ところが。
幼稚園の担任の先生。
先生たちも忙しかったんだろうな。
大勢の園児たちを抱えて、絵の題やコメントを書かなきゃならないもんで、急いでいた様子でした。
口を、心を開かない、話さない、大人しい私に、どう接したらいいか、きっと困っていたんだろうなぁ
これは何?
お客さんだね。って。
担任の先生のバタバタ大変そうな雰囲気的に、
「違う、石です。」
と言えない自分でした。。。
結果、黒い大量の丸。指が痛くて疲れても必死に力を入れて描いた大量の丸たち。
それはお客さんの行列と解釈されてしまいました😅
あー。
描くことで自由な私になれるはずの、私の世界、私の感情や表現を箱の中に押し込めてしまった瞬間だったんだ。
こういう体験があったことを出てきた他の絵からも、先生のコメントを見て色々と発見した。
〜蝶々の絵〜
自分の記憶の中では、素晴らしいあのベレー帽のおじいちゃん先生。
あのベレー帽の絵の先生が教えに来てくれる時間だけは、幼稚園で最高に好きな時間だった。
話すと思いが深すぎて長くなってしまうので、詳細は割愛しますが😅
とにかく、私が自信を持つことができた嬉しい思い出。
私を助けてくれた忘れもしないあのベレー帽の先生!
確かにその絵は蝶々だって!
恥ずかしくて水道の隅に隠れて描いていた私の絵を見つけて皆に見せて、素晴らしい!きれいな蝶々って言ってくれた。すごく嬉しかった!
その絵の担任の先生コメントが、
蝶々ではなく、何故かお花になってしまっていたなんて。
あー(⌒-⌒; )
やはり言えなかったんだなぁ。私。
先生が、お花って言ったから。蝶々です。なんて…。
しかし。
後日、実家に行った際に母とたまたま片付けの話になり、この絵のエピソードや園でどんな気持ちで過ごしていたかなど話は広がり。
すると、母によると、担任の先生は若く、どうもその時が新任だったようです。
そして私の対応にも悩み、すごく頑張ってくれていたようでした。
ちなみにですが。母と話した事により、当時母も同じように私に大変悩み、苦労していた事を知ることができました。
そうだったか😌
知らなかったよ。
有難うございます。
母もこの絵たちを通じて、当時の私がどう悩み、思っていたかを知れ、いい話が聞けたよ良かったよって😊
そして今、改めて眺めてみると、
うん。
お花に黄色い蝶々が飛んで来ているようにも見えます😊
それもなかなかいいじゃんか♡
〜花瓶の絵〜
小学2年の時に描いた花瓶は、確かに健全なメンタルの子供が描く色使いじゃないね😅保護者が観たら、大丈夫?ってなりかねんのも想像できるけど。
しかし、その図工の授業中に友達の間では私の花瓶の絵が凄いってなって、みんなが集まって来て描き方を教えて〜!って言われた。
嬉しくて教えてあげた。
そしたらその子の花瓶の絵が、校内展示されてしまった。明るくてドッシリした元気な色の花瓶だった。
ショックだった…。
後日、何かしら母親とトラブルがあって、泣きながら花瓶の絵のことを小2の私は話したんだ。多分、母に自分から学校の悩みを初めて吐き出した時だったのかもしれない(母に話せて良かった。)
で、母親が懇談会か何かの時に担任に話したら、担任の先生は私にすごく丁寧にごめんなさいって心から正直に伝えてくれた。
あの絵は、
上手く描かれすぎていて、子供らしくなかったから掲示できなかったんです。
と担任の先生は本音を伝えてくれた。
母から聞いたら、厳しくて変わり者の産休補助員のおばあちゃん先生だったから、保護者たちから評判悪かったらしい。
しかし、この絵の一件があってから、私や母とその先生との関係性はグングン近まり、その後、給食や自転車訓練の悩みなど、学校での悩みが色々と解決していくきっかけになっていったようです。
以前のブログに、おばあちゃん先生の話が出てきます
↓
お陰でこの花瓶の絵は結果的に、
記憶に残る大切な一枚の絵として、私に勇気と自信を与えてくれる存在に転ずる事ができました。
〜スイミーの感想文〜
小一の時に書いたスイミーの感想文に至っては、この背景についても、長くなるので割愛しますが、いつもジャージで竹刀を持ってた女の怖かった担任の先生。
感想文をこう書いたらその先生が喜ぶだろう。◯をくれるだろう。そう思ってビクビクしながら書いていた。
最初に素直な気持ちを書いた部分を消して書き直して、◯をもらったその感想文を見つけ、
大人になって読み返した時、
自分の思ったことや感情を、世間的な妥当なライン、一般的に良しとされるラインに合わせた記憶。
たったの6歳!6歳の自分が気持ちをねじ曲げて抑えていたんだという切なさ。
それに気づいて涙が止まらなかった。
あー。
本当の自分の考えや気持ちを出すのが恐くて、奥に閉じ込めてたな。
枠を飛び越えて表現したって許される。
そこでは周りの人がどう感じようが、そんなの気にしなくてもいい。
素直なありのままの自分の気持ちでいい。
型にはまらないで、一つひとつ違ってオッケー!
普通からズレていたっていい。
自由になれるのがアートや感想文だろうに。
小さい頃に、
そんなささやかな自由が。
あれ?何か私は間違ってる?
良かったんかな?
私って変なんかな?
って、悩み、傷つき、周りに合わせて感情を閉じ込めていくという体験をしていました。
それらの絵を見ながら( i _ i )
切なさもありますが、でも自分が話さなくて、表に出さなくて故に知らなかったことによる誤解もあるという事にも気がつく事ができました!
自分らしさを抑え、周りの人に合わせ、気持ちを閉じ込め、話を丸く収めようなんて!
もうそんな自分とはさようならです。
もう、バイバイ〜って私は手放しました😊