迷ったけど両親に久々に直接合って話せて良かった!


義父母にもカッコつけない私であれて良かった!


何年振りかな?地域の美術展に行ったら、沢山共感できて嬉しくて。良かった!


もうメンタルがキツくて半ば諦めかけたけど、どうにでもなれ!って、誰かに媚びるとか誰かに望むとかをなくして、ついに素の私で自発的に仕事に向き合ったら仕事で自分ができる事への可能性と、いったい何が問題なのかがスッキリ見えてきて、と同時に緊張が格段に減って、すごく良かった!




今朝、瞑想時に急に大切にしていた本の事を思い出した。

世界文学全集!たしか25巻とかあったような💦

25年以上も実家の押し入れに眠っている本。


苦手な活字。なのに読みたくなる。

私の場合、読むと言うより、その分厚いハードカバーや紙質、表紙の油絵や挿絵など、その美しさに凄く心がときめいてしまうのです♡

そしてその絵画、挿絵を解明するために文章を読むみたいな感じ(⌒-⌒; )


小学生?幼稚園?の頃、1巻の初めからじっくりじっくり読まないと気が済まなくて💦

しかし、第1巻は登場人物関係や名前を覚えるのもややこしいギリシャ神話があって、毎回毎回途中で挫折(⌒-⌒; )

それでもいったい何回、その分厚く重い本を開き、ワクワクしたことでしょう♡


ダメ元でまだあるか母に聞いたら、父が探してくれてあったって!!さっそく受取り👍



毎度、途中でリタイヤしてたギリシャ神話(^^)





今の大変な時代、厳しい世の中のニュースや、会えなかったり、思うようにいかない、分かり合えない悲しみなどなど、落ち込む日もありますが、



隠れてしまっていて、そう見えないだけ、気づかないだけ、忘れてしまっているだけかもしれない。その美しい部分や、無限大の可能性があると言うことを。


一つひとつの物事との出逢いには、あ、方向を間違えてる!って気付くために、わざわざ失敗し苦しみにいったりするための出逢いもあると思う。

でも、それにも必ず意味があると思う。


自分の目の前が見えなくなって、気付くことや出逢う物事。


目の前が見えなくて悩んでる時、

声掛けや手を差し伸べてくれる人が実は目の前に現れていても、避けていたりスルーしてしまって気付かないでいるのかもしれない。


それに気付くためには、なるべくリラックスして、その時、その場で、その方向に感じるフィーリングを大切に動いた方がいい。そういう立ち止まる瞬間を一瞬でも持った方がいいと思う。

特に緊張しがちな自分は!(⌒-⌒; )



気付かないだけで、暗闇の中にも必ず光はあると信じてる。



本来のある姿、自然空間になかなか触れられず、人工的な気が交差する空間に生きる現代、日本の街中で生きると言うことは本当にシンドイなと思う。

だから意識して少しでも気が、空間が、自分にフィットできるよう工夫したりする事は本来の自分をキープするために大切なんだろうと思う。


可能性はあちこちにあるし、なんなら自分の中にあると信じてる!


今居る場所、世界、宇宙、この世のあらゆるもの、ことに沸き上がってくる本来、誰もが持っているその美しさ、無限大の可能性を感じ、とても嬉しくなったのです╰(*´︶`*)╯♡