以前書いたブログ
に追記です。

言葉について。

私は言葉に対して過去に相手が発した言葉によるトラウマがあったり、言葉で自分の気持ち、感情を伝えきれなかった、わかってもらえなかったという小さい頃からの悲しい経験の積み重ねがあるので、言葉というものに対してあまり良いイメージが浮かばなかったのです。
でもこれは間違いだったとハッキリさっき気付きました。

言葉での悪い記憶が強すぎて、ついそればかり浮かんでしまっていましたが、いいや、いいや、思い起こせば言葉からの素晴らしい記憶、沢山沢山ありました✨

ガン手術の麻酔がきれ、目を覚ました母から最初に聞いた、心からの「ありがとう」の言葉✨

この一言は母との関係にトラウマがあった私にとっては、生涯最高のプレゼントだ。

私が産後、母との確執から気がおかしくなり、自分が抜け殻になってしまっていた時に、泣きながら私を抱きしめ、私の名前を呼んでくれた父。
私の名を呼んでくれたあの言葉の声は愛情そのもの。愛されているのだと。だから私は私をやめてはいけない。と我に帰る事ができた。


放松 (fang son) リラックスして〜
という言葉を中国放浪時に出逢った中国人から良く言われ、
慢慢走(man man zou)、ゆっくり行きな~
別着急(bie zhao ji)、急がずにね〜
って、別れ際に。
なんて愛情ある言葉だろう。
そんな温かい言葉をかけてくれる素朴な中国の方々にどれだけ癒されたか。

さらに、単語、文章、手紙、詩(歌詞)、聖書や経文…。
から受けた感動は数えきれないじゃんか!って。

言葉に込められているものの深さ。

言葉や文字で想いを伝達していくこと。
言葉を使って嫌な思いを吐き出しもしてしまうけれど、感動したことや気づいたことも言葉で伝えようと、今、まさにブログ書きながら取り組んでいるではないか(^^)


言葉へ載せる想いの深さ。
何故、それに気付いたか?

ご本尊様を見ていたら、言葉の意味というよりも、その文字から不意に、文字が濃く浮き出てきて、それが根っこに見えてきて。
それをきっかけに文字から湧き上がる生命力を感じたから。
日々、見守って下さっている神様や仏様たちの力、優しさ、愛情に包み込まれているみたいに感じたから。

ご本尊様に書かれている内容、意味は深すぎて、言葉、文字で伝えている表現を、まだまだ自分は理解しきれないけれど、
これは、意味を頭で理解というより、なんか、こう、もっと体全体で感じるみたいな。


チベットで見たタルチョに描かれた経文もそうだなって。
タルチョの五色、風になって流れる経文。
これは、もはや文字は風になり、その風の言葉を全身で感じる。

宗教理解全く乏しいですが(^_^;)
空の世界に至っては文字も色も無いのですよね。

最終的には広がる宇宙の生命、根源に繋がっていくのかなぁ。。。


日蓮宗のご本尊様を見ていて、そんなことを想像していました。
これはご本尊様のみならず、神様に守られている感覚や、自然界、植物、生き物たちの生命から感じることと全く同じだなぁと嬉しい発見でした✨

だから普段、文字にする言葉、発する言葉もとても大切なんだなぁってじんわり感じました😌


うちのカメさんはなんも喋らないけど、日向ぼっこしながらゆっくり首を伸ばして風を感じ、その心地良さをじっくり味わっている姿を見せて、沢山私に教えてくれますが、人は言葉をメインに意志を伝達する生き物だからなぁ。
言葉を使って良くも悪くも表現し、伝えれることができる生き物なんだなぁ。