昨年の春、新宿にある平和祈念展示資料館にて

冊子を二冊いただきました。

 

この施設は主に

戦後、強制抑留された人々の歴史を

語り継ぐ資料が展示されています。

 

 

私は自分の心を強く持ちたい時

戦争関連の地を訪ねたり、本を読みます。

 

 

今日はその本を読み返してみました。


きっかけは、年末見た企画展。

平和祈念展示資料館ではないんですけどね。

 

 

年末、九段下を散策していたら

偶然、企画展を見つけました。

それはシベリア抑留者の四國五郎さんの

画と文と遺品を展示する企画展でした。

二十歳で徴兵され、戦争を体験。

そして、終戦後はシベリアに抑留された日本人。

 

戦後強制抑留された日本人の数をご存知ですか?

シベリアはじめ旧ソ連やモンゴルの極寒の地へ

強制的に抑留された人々がどんな生活をしていたか?

 

その歴史は筆舌に尽くしがたいもので

戦争を知らない世代のわたしとしては

想像の世界でも決して追体験などできない・・・

 

でも、

 

目を背けてもいけないと思うんですよね。

 

 

 

終戦記念日は昭和20年8月15日

 

玉音放送にて

日本が戦争に負け降伏したことが告げられました。

 

当時、満州(現 中国東北部)には

徴兵制で送られた兵士や

それ以前に未開拓地だった満州開拓に夢抱き

千振開拓団として満州へ渡った日本人がいました。

 

終戦。

日本へ帰れると思いきや

ソ連・モンゴル収容所に

強制的に入る事になってしまったのです。

 

なぜ?って思いますよね。

 

ソ連は長引いた戦争で国土は荒廃

人もたくさん死んでしまっていたので

労働力として日本人があてがわれたのです。

 

日本兵士57万5千人が拘束され

シベリアを中心とした地域に抑留されました。

捕虜です。

奴隷のような惨たらしい生活を強いられたのです。



人間の尊厳など一切ない毎日。

 

目の前で仲間が死んでいく現実。

極寒と不衛生と貧困と飢餓と過酷な労働。

 

四國五郎さんはそれを記録に残しました。

 

見つかったら殺されます。

靴に入る豆日記として書き続けたのです。

 

これを見ると

終戦後も戦争は続いていたのだと

感じます。


 

シベリアから引き引き揚げ、帰国後、

豆日記を元に本を出版したそうです。

 

それは戦争を知る貴重な資料だと思います。

四國さんが実際に使っていた飯盒には

自分の名前と

目の前で息を引き取った

仲間の名前が刻まれていました。

これもソ連兵にバレないように

飯盒を二つ重ねて持ち歩いていたそうです。



 

抑留体験のある方々が

引き揚げ後、他界した時に

お墓はいらないという言う人が多いそうです。

 

それは、異国の荒野や海原に散った

無数の仲間の死者に対して

申し訳が立たないという想いからだそうです。


 

毎日、悲しいニュースが報道されています。

 

食べ物があり、暖もあり、

夢を見ることもできるこの時代になぜでしょうね。

日常を豊かと捉えるのは自分次第ですよね。

 

Jアラート、核、弾道ミサイル、そんな言葉も

毎日のように新聞で目にします。

悲しくなります。こわいです。

 

庶民ですから、私はきっと

そうなると何もできない弱者となります。

 

 

日々を優しく、心豊かに、

そして決して二度と「戦中」にならないように

 

「戦後」であり続けられるように

 

負の歴史があった事実を風化させないように

 

私たちは歴史から事実と心を学ばなければならない

そう、思います。