実は10代の頃、TBSの番組のADのアルバイトをしていました。

ADと言うよりはADのお手伝いと言った方が正しいかも!

週に一度の生放送のその番組の当日のみのお手伝いで、

スタッフや出演者のお弁当配りや台本コピー(当時は台本をホッチキスで留めるのも手作業でね)

リハーサルでゲストさんの代わりに立ち位置に立たせていただいたり・・・。

フリップやテロップの発注をしたり・・・。

まだ、古い社屋でお化けが出ると噂のあった通路を御用があれば行ったり来たり・・・。(しかもね、なぜかそこに姿見があって、その鏡にお化けが映る噂があって、めちゃくちゃこわかった)

その他、ADさんの指令とあればな~んでも喜んで~!

本家ADさんと同じ呼び名はおこがましい・・・。そう、ADさんのお手伝いさんをしておりました。



ADブギなんて見ていた人はADさんは下っ端みたいなイメージがあるかもしれませんが、その番組はADさんからレベルがちがって・・・。

まだ10代な上、業界に身を置きたいと思っていた私にとってセンセーショナルな場でした。


ただの太ったきたないオンナだった私なのですが・・・。

いつか出る方へ行きたいんです!なんて厚かましく言っておりました。

若いってこわい!無謀ってすごい!



でも・・・。素人目ながらも優秀すぎるスタッフの皆さんを見てショック!

こんなにすごい制作スタッフの方々に「番組で使いたい」と思っていただける自分???

ちが~う!

私には何もないと痛感する、人生の挫折と刺激を感じ入る一年でした。


今思えば、そこでショックを受けて、一旦、北海道に戻ったのは挫折のような感じだったのに、北海道でお天気お姉さんのオーディションに選ばれたのがきっかけで出演者となり現在に至るので、なんだか、すべ~て、ぜ~んぶ、つながっているような気もします。





私がお手伝いをさせていただいていたその番組のメーンキャスターだったのが、あの福留功男さんです!本日、ご自身の故郷で実った大きな栗を送ってくださいました。

年に二回、季節のご挨拶をご丁寧に送ってくださる福留さん。

身に余るしあわせ。どんなに励みになっているか・・・。



たかが、番組のアルバイトだった私。


でも、北海道へ帰りますと言った時には、食事会を開いてくださいました。





その後、改めて上京した私が日本テレビの「ズームイン!朝!!」の取材キャスターに選ばれた時、福留さんは海外取材に行ってらしたのですが、福留さんが以前に出演していた番組ですから、一刻も早く報告させていただきたくって・・・。帰国を待ちわびておりました。

帰国後、なんと、福留さんからお電話をくださって・・・。

受話器の向こうで笑ってくださっていたようなあたたかなお声をいただきました。

でも、ズームはきびしいぞ~!

その時初めて、湯浅美和子を同業の後輩として扱ってくださったのを覚えています。


今も、あったか~く、でっかいハートとでっかい声で

「身体、大事にしながらだよ~、ゆっくりでいいんだぞ~」と言ってくださる福留さん。




勿論、現在の私がTBSショッピングのプレゼンターをさせていただいていることもご存知で、むか~し、TBSでADやってたゆあさがTBSの番組に出演していることを、朗らかに喜んでくださっている福留さん。あったかいです、ありがたすぎます。




赤坂は坂道が多い!

あの頃、幾つかの編集スタジオへ、あっちの坂、こっちの坂へと台車にお弁当をいっぱい載せて運んでいた自分は私のルーツです。




あの時、絶対に夢を叶えるぞ~!出演者になるぞ~と思っていた私が今の私を知っていたら、その坂道もす~いすいとのぼれたかしら・・・。




旬のパワーいっぱいの栗を見ながら・・・。

もしもね、タイムマシーンがあったらね、「叶うよ!」「坂道ウエルカム」って、あの日の私に言える!その事実がちょっと嬉しい!



勿論、まだまだですけどねっ!