ライターの松岡です。三輪記子弁護士の人生を回想した「シリーズ 三輪記子物語」を
2020年にお届けし、約4年が経ちました。弁護士登録からも13年以上が過ぎ、
弁護士としてもタレントとしても、「中堅」の域に入りつつある三輪。
そこで、三輪が弁護士になって以降の日々を振り返る、新たなシリーズを立ち上げたいと思います。
妊娠、結婚、出産、個人事務所の立ち上げーー。この10年をざっと振り返っても、
三輪の人生は波乱に富んでおり、同じ女性として聞いてみたいことがたくさんあります。
一つひとつの出来事にどう向き合ってきたのか。
一人の女性として、自身の選択に後悔はないか。
30代後半、独身子なしの自分が、人生の先輩からお話を伺っていく、という目線でお届けしたいと思います。
初回のテーマは「妊娠、結婚」。世間一般では「結婚、妊娠」という順番が通常だと思いますが、
「妊娠なくして結婚もありえなかった」と三輪は言います。その真意を掘り下げました。
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●結婚にこだわりがなかった
――2015年6月、作家・樋口毅宏さんとの結婚を公表し、近年では夫婦で取材を受けられる機会も増えています。夫婦単位でのイメージも強まっていますが、もともと、結婚したいという思いはそこまで強くはなかったとか。
はい、結婚にはこだわりがなかったです。「したくない」という積極的な意思を持っていたのとは、またちょっと違う。司法試験に合格する前の20代は結婚に憧れたこともありましたが、合格して弁護士になってからは、結婚という制度に懐疑的で。するのが面倒くさいし、積極的にその道を選ぶ気はなく、現状維持でいいかな、という感じです。
自分から申し出た形ではありますが、私、弁護士になる前に2回の婚約破棄をしているんです。弁護士になってからは離婚事件を担当して結婚の負の側面を見ることが多かったので、結婚という制度自体に魅力を感じる気持ちが失せていました。
――それでも、樋口さんとの結婚に踏み切ったのはなぜですか。
同年に子どもを授かったからですね。それがなければ、結婚も同居もしていないと思います。当時は京都の法科大学院で受験指導の講師の仕事もしていたので、東京に出ることも考えていなかったですし。
当初は事実婚でもいいかなと思っていたんですが、所属事務所の助言もあって、最終的には法律婚に踏み切りました。
――当時、子どもが欲しいという気持ちはあったのでしょうか。
はい。20代のころから子どもは欲しいという気持ちはありました。
ただ私にとって20代は、やっぱり司法浪人の時期。8回目の挑戦で合格を果たすまでは、「司法試験に受かる」ことが人生の再優先でした。
弁護士になってから結婚する1~2年前までは、昼は仕事をし、夜はフラフラ飲みに行く生活を続けていました。
初めは楽しかったんですけど、飲んだくれる毎日にだんだんと疲れ「何かが足りない」と感じるようになっていました。弁護士業だけでも十分に社会とのつながりがあるはずなのに、それでも世界と自分とのつながりがとても希薄な気がして、もっと「生きたい」と思っていました。それが、「子供を産んで育ててみたい」という気持ちにつながっていったと思います。
年齢の問題もありました。一般的に妊娠のタイムリミットは35才と言われていますが、当時自分は既に35を過ぎていて。だとすると、産むにはそろそろラストチャンスなのかもしれないなと感じていました。「子どもを産まずにこれ以上自分が生きる意味ってあるのかな」というぐらいには思い詰めていたと思います。
それで樋口と出会ってから「籍も入れなくてもいい、お金もいらない、一切迷惑はかけないので樋口さんの子どもが欲しい」と伝えたんです。「この人との間に子どもを作ったら、とっても面白いだろうな」と思えたんですよね。
●夫との出会いはSNS
――夫・樋口毅宏さんとの出会いについても教えてください。新幹線のなかで樋口さんのご著書『タモリ論』(新潮新書)を読まれ、Twitter(現X)で「号泣した」とつぶやかれたことが、出会いのきっかけだったそうですね。
はい。つぶやきを見た樋口が事務所宛に礼状と他の著書を送ってくれて。それがきっかけで樋口のトークショーに招待してもらい、お茶でもしようということになったんです。
かと言って樋口を恋愛対象として見てはおらず、初めは「作家とお茶って、面白そう」ぐらいのミーハーな気持ちでした。その1か月後には2人で飲みに行くことになり、彼の突拍子もない面白さを知るようになって、徐々に惹かれていったんです。
――「突拍子もない面白さ」とは、例えばどのようなことですか。
挙げていくときりがないので、最近のことで話します。ほんの30分くらい私と連絡が取れないことを心配して、樋口が事務所に来て「やっぱりふさこがいない!さらわれたに違いない!」と大騒ぎをしたという事件がありました。
当日、私は整体に施術を受けに行っていたんです。施術中は、連絡が来ても対応できない。それを心配した樋口は「普段テレビで言いたいことを言ってるから、誰かに襲われてるんじゃないか」という妄想に取り憑かれ、私の事務所に1人で乗り込んできた(※1)。
でも当然、私は事務所にはいない。それで「どこかに閉じ込められてるんじゃないか」と思い、事務所の中を全部捜索したみたいで。私が帰ってくると、強盗が来たかのごとく事務所の中が荒らされてたんです。小説のような想像が、頭の中でどんどん進んでいるのが樋口らしくて最高だなと思いました。
――妊娠を発表した15年当時、すでに複数のテレビでレギュラーを務められていたと思います。自営業者に固有の悩みだと思いますが、妊娠が発覚し、仕事が止まって収入が途絶える不安はありませんでしたか。
全くなかったわけではありませんが、ポジティブな気持ちの方が勝っていました。実際、妊娠の数か月前までは弁護士業もこなしていましたし、自分でできない分は事務所の人に頼んでいたので。
同じタイミングでちょうど朝のワイドショーのコメンテーターの仕事が決まっていたので、それを休まないといけないことは唯一不安でした。ただ本業もあったので、収入がゼロになるとまでは思いませんでした。
1人目の子育ては、初めてのことばかりで大変な日々でした。その辺りは樋口のエッセイ『おっぱいがほしい! ―男の子育て日記―』(新潮社)をぜひご覧になってほしいです。
とは言え、自然妊娠だったこともあり、妊娠から出産までは比較的順調でした。大きな壁が訪れたのはそれから数年後、2人目の子どもを作ろうと思い立ってからのことです。(続く)
(※1)樋口さんは「三輪記子の法律事務所」の事務員も兼務しているため、事務所への出入りができる状態でした。
【取材・構成=松岡瑛理】
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弁護士の三輪記子(ミワフサコ)です。
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