入院中 お見舞い?
様子を見に 病院に 仕事の合間
面会に行きました
2階の病室から 階段を降りて 妻が
1階にくる
2階は そういう病院なので 立ち入り禁止
久しぶりの対面
だが 妻は 泣き出して 別れてというだけ
看護人に つかまり また 2階に 戻っていく
そんな事を 何回か 繰り返して
少しずつ 回復していった
ソーシャルワーカーに 個室に呼ばれて
こういう 精神病の人は 5人に一人は いる
珍しい事ではない
そう言って 説得してきた
別に 別れたいなんて 言ってないのに
今なら 質問したい
あなたの 息子(娘)が こういう状況になったら
同じ事言えますか?と
そして 結局 無理があったと
私のキャパをオーバーしたと
最悪の結末になったと 言いたい
無責任な ソーシャルワーカー
逆恨みかもしれないけど
ムカムカする
もう 30年も前だから 定年しているだろうけど
のうのうと 生きてると思うと タヒね
と思う
一か月後 妻は 退院して
また アパートで 一緒に暮らした
でも 完全に 元に戻ったわけじゃない
夜になると 不安定になり
車で 深夜のドライブ
深夜2時くらいまで アテもなく走る
そして 普通に 朝8時には 仕事に
行っていた
寝不足でした
ご飯も まともなものは 作れない妻
味のない イワシの煮付け
料理なんてしたことないから
仕方ないのですが 私が 食べないと
残ったイワシを ご飯と混ぜて フライパンで
炒める
イワシチャーハンって言ってたけど
残飯に近い 見た目と味
とても 食べれたものではない
妻は 美味しいって食べていた
この時 発覚した 味覚音痴だということを
後に 料理本を 数万円も 買って
実際には そのうちの 少しの本を読んだだけでしたが
まともな オカズを作れるようになりました
ナスの揚げ浸し🍆
よく作ってもらいました
少し 落ち着いた頃
妻は 妊娠しました
ですが 精神の薬を飲んでいたので
主治医は 大丈夫って言ってたけど
妻の親は おろすように 妻に言った
そして 妻は 堕胎した
その後 親から リングを子宮に入れる
手術を するよう言われ その処置を
妻は 受け入れた
信じられない事ですが
私にも パイプカットを 勧めてきた
この時 この家の異常さに 気がついてたら
妻の家から 逃げていたら また
違った人生だったのかもしれない
結局 逃げれた いや 追い出されたのは
それから 10年後でした
妻の家の仕事を 私が するようになって
私ばっかり 仕事をする事になり
妻は アパートで ふて寝していた
掃除と洗濯だけは しっかりしていた
ご飯は 知り合いの女性から
料理出来ないのって言われ
頭に来て 勉強して 作れるようになった
数年して 販売に 二人で 一緒に行くように
なりました
この頃は 楽しかった
いつも 一緒に行動していた
行商していると おばちゃん達が
あんた達は いいね
一緒に行動できて 羨ましいという
そうかな?
その時は あまり 実感が湧くことはない
今ならわかる
どれだけ 幸せだったかと
そういう環境なら 今のような
孤独には ならないと
妻は 飽きっぽくて スタミナもなくて
途中で 車内で寝てたけど
それでも 楽しかった
そんな生活を送っていた
そして 39歳になった頃
妻の親父から 言われた
もう あんた達の 給料 出せないって