日曜日以外の毎日、少年達と顔を合わせて稽古をつけていると師弟よりは仲間に近い感覚が芽生えてくるようだ。


試合を冷静に観戦するというよりは心の中で退(さ)がるな、そうだ前へ出ろ!と叫びながら平静を保っている。


勝っても負けても普段本人が見せない表情や覇気が見られた瞬間、試合に出場させてよかった、と心配が安堵に変わる。


明日の稽古で変化というものが期待できる可能性が出てくる。


まぁ忘れてしまうのが子どもでもあるのだが…


才能のある若者や長年熱心に稽古している少年、やる気なく過ごしていた少年が家庭の事情や一身上の都合により退会していく。


この季節にはつきものなのだが、空手の指導者としてその至らなさを嘆く時でもある。


けれど春休みで寮生活から久しぶりに稽古に顔を出した少年が、もう若者と呼ぶくらいたくましく成長していたりすると、もしや空手が彼の人生に何か影響を与えているのかも、と希望らしきものが見えてくる。


日々、変化する少年達との稽古。


こちらの気持ちも浮いたり、沈んだり。


こんなことして役に立っているのかわからなくなる日もある。


だが、昨日の少年大会で試合後、力を使い果たし、ヒザに両手をついてヘトヘトの姿を見せる六年生、全力を出した姿を初めて見せてくれた。


卒業式で立派になった息子をながめる親の気分であった。


本気になる、全力を尽くす。


やはりすばらしい誠である。