師範日記

師範日記

日々の稽古、生活で心に感じたことを書き綴ります。


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東京大空襲の慰霊祭があるので日曜日は行けなくなりました-知人から金曜の晩、電子メールが届いた。

 

何だよという失望と、あっ10日だったかという再認識。

 

そう七十四年前の今日のように強風の未明、墨田区、台東区という下町上空に米軍の爆撃機B-29が来襲。

 

焼夷弾と呼ばれるガソリン爆弾を何万発も落下させた。

 

草木一本残らぬ焼け野原と化した跡には一般市民十万人が犠牲となった。

 

原子爆弾にも匹敵する一晩で非戦闘員十万人の虐殺行為は戦争史をひらいても見当たらない。

 

これが東京大空襲だ。

 

稽古生に史実を話した。

 

道場の高齢化が進む現在、その日の参加は四十代一人をのぞき、五十代、六十代だった。

 

当然知っているだろうと思ったが、全員知らなかったようだ。

 

私たち世代が語り継いでゆかねばならないのに…このことにも驚かされた。

 

太平洋戦争の記念日と呼ばれる日を迎えるたびに私が腹立たしさを覚えるのは、当時のトップ周囲の決断の遅さである。

 

無条件降伏を連合国より突きつけられて二か月余り地下シェルターで無駄に会議に時間をつぶした。

 

その間、二発の原子爆弾を含む空爆で百万の国民が亡くなったとされている。

 

戦争は始めることよりも終わることのほうが難しいとされている。

 

それにしてもトップのせいで何万もの国民の命が危険にさらされる。

 

現在このことが是正されていると言えるだろうか。

 

国策の名のもとに何が起きても進められる原子力発電の開発。

 

昭和20年3月10日にあった東京大空襲。

 

平成23年3月11日東日本大震災により、発生した福島第一原発事故。

 

私たちが伝えるべき出来事は人災天災数多くある。

 

 

 

 

 

 

 


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新しい年が始まって十日足らず。

 

心身共に疲れを感じる時だ。

 

年末から続く不規則な仕事の休みと暴飲暴食に体調は落ちている。

 

新たな夢や目標を掲げ、希望に燃えているはずなのだが、これから先一年を過ごすのだと思うと年齢だけ取って去年と同じことを繰り返すのかと気づいてため息の一つも出てしまう頃だ。

 

私の周りでもそんな声が聞こえている。

 

大義を掲げることである。

 

大義を見た時に昨年と同じ行事(同じ訳はないのだが)を迎える心構えが違ってくる。

 

目的地へ近づくための道具が行事であることに思えてくるのだ。

 

私が今年掲げた大義は世界平和である。

 

大山総裁が晩年みていたということをある人から聞いた。

 

総裁は文武両道の武道家を育成するために三年間の内弟子制度を作り、礼節を持って世界の平和に貢献しようと考えていたそうだ。

 

自らを鍛える空手という手段を心得、威張らず、謙虚な心を持った空手家が世界平和の礎となると確信していたのだと思う。

 

先日から始まった大河ドラマ「いだてん」で講道館の始祖、加納治五郎先生が世界平和のためにオリンピックに参加するのだと提唱するのを観て、もしや若き大山総裁が影響を受けた人物に加納先生がいたのではないかと思った。

 

総裁も若き日に柔道を学び、四段でもあったはずだ。

 

明治の終わりのオリンピックが現在のオリンピックとは本質的に違っていたにせよ、本来のスポーツ競技の目的が世界平和であることに違いはないのである。

 

世間の空手家諸氏へ何の為に空手道を歩むのかわからない時は大山総裁が指し示したところを見て進もうではありませんか。

 

 

 

 


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今日で異常な暑さが終わるわけではないが、世の中で言う夏休みは終わり。

 

今年の夏は様々な事件、事象があった。

 

私にとっても痛快な出来事があった。

 

高校野球、東北の農業高校が決勝まで駒を進めたことだ。

 

どこにでもある公立高校がセミプロのような有名私立高校に何回か逆転勝ちを収めた。

 

アマがプロの足元をすくう。

 

人は奇跡と呼ぶが、実はそうではないらしい。

 

聞くところによると、一流のウェイトトレーニングのコーチをつけ、秀でたパワーヒッターを養成したこと。

 

大国柱のエースが一年のうちから三年計画で、監督、コーチが同世代を育成したらしい。

 

彼らが練習で使うホワイトボードを見た。

 

すべての練習を100パーセントの気持ちで行うと書いてあった。

 

高い意識の元、技に力が乗り始める。

 

もうひとつ付け加えるならば、東北という気候風土が培った人々の気質であろう。

 

半年近く雪に閉ざされた厳しい環境。

 

以前、八郎潟という干拓地を見た。

 

行けども行けども周り一面に広がる水田は終わることがない。

 

今は広大な水田地帯も、琵琶湖に次ぐ広さの湖を人力で埋め立てたのだという歴史を知るにつけ、東北人の気骨、気根には驚嘆と畏敬の念を抱かずにはいられない。

 

私自身、半分は東北、津軽人の血が流れている。

 

誇りに感じている。

 

普通、人は強豪とか名門などと言われるチームや学校に入ることを目指す。

 

そこで揉まれてレギュラーになれば日本一の夢が叶うからだ。

 

私は昔からこのセオリーに縁がなかった。

 

選手時代も諦めず稽古はしていたが、強い道場になったのは意識の高い先生に強い後輩がいたからだ。

 

指導する立場になってもすぐに強い選手を育てたわけではない。

 

強いと呼ばれるノリの良い道場にまわりの人間が何人も足を運ぶ現実を目の当たりにした。

 

お前たち、意地はないのか?

 

心でそう叫びながら、公園を走らせていた記憶がある。

 

パワー、技、気迫、この三要素を踏襲していたので、時間はかかったが、ある時点で強豪と呼ばれる道場に追いつくことができたと思っている。

 

情報が瞬時に行き交い、氾濫する時代である。

 

何が正しくて何が悪いのか、判断がむずかしいこともあろう。

 

しかし、人間が行うことであれば、いつの時代もそう変わりはしない。

 

原理原則を忘れず、信という真を持って進めば、農業高校のような奇跡は誰にでも可能なのだ。

 

秋田県金足農業高校のナインには勝負の原点を、練習の本質を、諦めない気持ちを教わりました。

 

ありがとうございました。

 


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13時間あまりのフライト。

 

その間、二度の機内食でブロイラー化、もしくはフォアグラ化してもたれた自分の胃を気にしながら、ミュンヘン空港に降り立った。

 

出迎えに来ていただいた現地の道場生の車に乗車する。

 

究極までチューンナップされた高性能スポーツカーである。

 

噂に聞いていたアウトバーン。

 

左車線はオープンであり、制限速度がない。

 

運転手はそこに入り、思い切りアクセルを踏んだ。

 

暴力的なエンジン音とともに膨れ上がった胃袋が今度は背中から飛び出しそうな加速Gを受けた。

 

あぁこれがドイツなのだと思った。

 

空手サマーキャンプの指導で訪れた初めてのドイツ。

 

帰国後思うのは、質実剛健である。

 

滞在したホテルの家具、ドアノブや扉の蝶番。

 

水道やシャワーの蛇口、トイレの便器に至るすべてのものが頑丈にできていた。

 

便器などはもしも尻を滑らせ後頭部でも打てば、間違いなく割れるのは頭である。

 

家具、ビール、刃物など、ドイツにはマイスター(徒弟制度)がある。

 

全てに対して職人気質が存在しているのだと思う。

 

合宿開催地、ドイツ南部バイエルン地方を、走る車の窓からながめていた。

 

丘陵地帯に広がるトウモロコシや麦の畑、そして牧草地帯。

 

行けども行けども景色は変わらず、ノンストップで車は走り続けた。

 

あぁそうか、心の中で合点がいった。

 

ドイツでは2シーター、フルオープンのスポーツカーが存在する。

 

あの名車は短い夏の陽光を惜しむバイエルンの上流カップルがこの地を走るために造られたのだと。

 

決して日本の渋滞でトラックの排ガスを浴びながら我慢して走る車ではないのだ。

 

ドイツは車社会である。

 

だが日本のそれとは違う。

 

日本がファミリーカー主体で各自動車メーカーがバラバラに造った車がおもちゃ箱をひっくり返したような状態で混在するのに対し、ドイツ車は一本の線でつながっている。

 

線とはアウトバーンだ。

 

アドルフ・ヒトラーが成した唯一の善行と呼ばれるこの高速道路は無料であり、日常生活の中にいつでも存在している。

 

どんな自動車も高性能でなければならない宿命を持っているのだ。

 

ドイツはいい国である。

 

ビールもハムもソーセージも絶品だ。

 

だが、すべてのものは世界に冠たる自動車産業の上に成り立っている。

 

ワシらこの世界でやってるけんね!というゲルマン魂の声が聞こえてくるような一週間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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サッカー日本代表イレブンが帰国した。

 

またサッカーかよ!お前は空手家だろ?

 

一部の読者はそういうでしょうな。

 

私もW杯についての記事はもう書くまいと思っていた。

 

だがある事柄を知り心が変わった。

 

でもこれが最後だからね。

 

今日から準々決勝が始まるが、どんな名勝負が展開されてもサッカーネタはこれでおしまい。

 

ある記事を見た。

 

敗戦後日本チームが使用したロッカールーム。

 

ゴミ一つなく、使用前のようなきれいさを保っていた。

 

失意の底にいた選手たちが現地の担当者を気遣って清掃して明け渡したのであろうか。

 

私の脳裏にそのようなイメージが浮かんだ。

 

メモ用紙に残されたスパシーバ(ありがとう)の言葉と青い折り鶴から担当者と選手たちの人としての心の交流がそこにあったのだろう。

 

あの精神状態で、いや、あの状況だからこそ人の優しさに気づいて応えることができたに違いない。

立派である。

 

競技選手も捨てたものじゃない。

 

サポーターが試合後にゴミを集めて立ち去る姿も報道されるようになった。

 

立つ鳥跡を濁さず、この精神文化が日本から世界へ発信すべきことなのだ。

 

私も舌打ちすることもなく、今後も公共施設のトイレのサンダルを整理し続けよう。

 

私はサッカーという競技が嫌いではない。

 

だが、大好きな訳でもない。いい年齢した監督はじめ主将までもが何々だしーっ、しゃべるのを聞くと恥ずかしいなと思うし、奇をてらうヘアスタイルを見るとかっこつけるなよと言いたくなる。

 

しかし試合前のボクサーのように締まった身体とコケた頬を見ると自分を追い込んでいるなと好感を持つ。

私は太った選手のいるプロスポーツは好きではない。

 

相手国のゴールに芝をたたいて悔しがり、インタビューに詰まって号泣する彼らの姿にいい奴なんだろうなきっと、と感じ入ってしまう。

 

無念さを抑えながらもどこかすっきりした十一人の面々は独特ななんとも言えない表情をしていた。

 

記者会見で監督が語った、試合の後選手に伝えたという、倒れこんで背中に感じた芝生の感触、空の色、それを忘れるな、ベンチに座っていた選手たちのあの以居心地の悪いお尻の感触は忘れるな、が印象的だった。

 

あの感触をガソリンに、選手たちが四年後に向けて日々、周りに影響を与えてゆくに違いない。

これからの四年間が楽しみである。

 

 

 

追記

執筆後、清掃したのは日本のスタッフと知って感動は半減しました(苦笑)

 

だけど、選手たちを支えるスタッフの細やかな気遣いが伝わってくる美談にかわりはなく、美意識を世界に知らしめた出来事だと思います。

 

 

 

 


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サムライの刀は悪魔の心臓に数センチ届かなかった。

 

後半戦開始直後、日本はたて続けに芸術的な2本のシュートで優位にたった。

 

あと1点奪ってV候補、赤い悪魔の息の根を止めてやれ

 

観ている者全員がそう願ったはずである。

 

だが本気になったベルギーは二名の選手交代をした。

 

お宅らどちらさん?と言いたくなるような、バスケット選手並みの高身長選手。

 

ガリバー旅行記を連想させる身長差。

 

巨人対コマネズミ。

 

だがコマネズミは曲線を描く柔らかい精緻な動きで時にトリッキー、時に実直なパス回しを展開、美しかった。

 

大男に2、3匹がへばりつき、その動きを前半、完璧に封じ込めた。

 

しかし空中戦に持ち込んだベルギー監督の思惑は当たり、2点を取り返す。

 

結末は突然訪れた。

 

アディショナルタイム残り数十秒、コーナーキックをダイレクトキャッチした相手キーパーの速い縦パスに巨人たちが猛然とダッシュ。

 

ネットを突き刺す峻烈なゴールはコマネズミたちの心臓を止めた。

 

W杯史に、記録にも記憶にも残る名勝負だったと思う。

 

競技の世界には時々、強弱や優劣、勝者、敗者の区別を二の次にさせる勝負が存在する。

 

努力を続けること、自分のやってきたことを信じること、勇気を持つこと、そして決してあきらめないこと。

 

すぐに忘れてしまう真という心をその試合を見るたびに思い出し、大切なものに触れている安心感を得られる。

 

昔の極真会館の全日本大会の決勝戦によくみられた。

 

第10回、第17回、第22回大会を思い出す。

 

俺たちは勝ち負けの為だけに稽古しているんじゃない、と実感させてもらった。

 

第7回世界大会の決勝戦前、日本の代表監督の責務を果たそうしていた私はこの思いを確信したのを覚えている。

 

大会が各派閥のプロパガンダになり、政治に利用されることに反発してのことだったと思う。

 

サッカーW杯ロシア大会の日本VSベルギー戦は私たちに人が生きていく上で大事なことを教えてくれる名勝負として語り継がれるに違いない。

 

試合後、日本の監督が語った≪差は僅かだった、それが全てだった≫の僅かは、『才か』と書くべきだろう。

 

選手、スタッフ、監督全ての人の才能、能力をあと少しずつ伸ばす。

 

近い将来、彼らの努力は世界の壁に手が届き、乗り越える日が必ずやってくる。

 

全日本チームに関わったすべての方々に敬意を表するものである。

 

 

 

 

 


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日本チームは勝利の女神に好かれている。

 

ジェットコースターか耐久レースのような少年合宿から帰宅したところ、ワールドカップの特番をテレビで放送していた。

 

聞くともなく聞こえてきた、日本代表監督の10分間パス回し戦略に対する批判。

 

だったら君がやってみろ!

 

私の口から自然に出た言葉である。

 

番組には目もくれず入浴。

 

鏡に映る、疲労で10歳は老けた顔を見ながら思った。

 

あの代表監督は運をつかんでいる。

 

確かに私もあのパス回しは見ていて疑問に感じていた。

 

ああいう計算高い逃げの一手は次戦のツキを逃すものではないかと。

 

だが解った。

 

日本はあの試合負けていた。

 

だが他会場でコロンビアが一点入れた時点で勝利の女神が日本チームに微笑んだのだ。

 

監督は素直に微笑みに笑みで返した。

 

それだけのことである。

 

よく人(マスメディア)は、代表監督と呼ばれる人物の采配を非難する。

 

今回もそうなのだが、試合前は親善試合で勝てず評価はボロカス。

 

が、蓋を開けてみればミラクル采配などと手のひらを返した称えようだ。

 

勝手なことばかり言うが、あんたら(マスメディアね)一度でも競技選手として人生を送り、引退して今度は選手を育てる側に立ったことがあるのか?

 

チーム束ねて優勝させたこと、あんの?

 

競技として勝つことの難しさ、勝負の世界の厳しさを肌身を持って経験したことが一度でもある者ならば、軽々しく卑怯だ、あれは正解などと騒ぎ立てやしない。

 

彼らは競技を食いものにしているだけの存在だ。

 

言論の自由は認めるが…

 

話を戻そう。

 

サムライ日本は運をつかんでいる。

 

勝利の女神に好かれる法則は、素直であること、笑いのあることである。

 

相手チームの実力を素直に認め、己のチームの技量を知る。

 

そして可能性に向けて全力を尽くすこと、である。

 

サムライブルーが赤い悪魔を切り倒す姿が目に浮かんでくる。

 

 

 

 

 


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人は存外戦争が好きなのかもしれない。

 

もちろん前線で戦う兵士としてでなく、兵士を送り出す民衆(国民)の側としてである。

 

本日は敵国の都市何処何処を陥落、わが国の勢いはとどまることを知らず…

 

大本営の発表するニュースに一喜一憂する国民。

 

自国の支配する領土が広がることに強国としての名声があがることに自己の存在意義を見出すのだ。

 

サッカーワールドカップの日本の活躍を目にする時、自分の心の奥にある本能的な資質に気がつく。

 

それは人間が何万年にも渡って繰り返してきた戦争の記憶が遺伝子に組み込まれたことによるものなのかもしれない。

 

古代ローマ帝国のコロシアムで奴隷同志をたたかわせたり、人と猛獣が闘うのを物見遊山で観戦していた大衆。

 

彼らの遺伝子は日本のイレブンが勝った負けたで渋谷の交差点で騒乱する輩に受け継がれているのだと思う。

 

もうひとつ、サッカーの試合から感じる世界史における人の感情というものがある。

 

欧州vs南米、アフリカ諸国、アジア諸国のカードにそのことを感じるのだ。

 

歴史における支配する側とされる側の関係。

 

スポーツや文化を教える(押しつける)側と教わった側の関係がそこにある。

 

軍事や経済力という国力では及ばなくてもスポーツ競技における勝負であれば条件は互角である。

 

しかも道具というものを殆ど使わない体を張ったサッカーという競技であれば、余計に歴史的に虐げられてきた国にチャンスとやる気が出ようというもの。

 

現在のサッカー発祥とされる英国に聞きなれない小国が勝利する可能性も大なのである。

 

そんな感情は現在の競技選手やファンには存在しないと言われるかもしれない。

 

しかし世界が軍事力で均衡が保たれているのだということは先日の米朝トップの握手で証明されている。

 

両国トップにまつわる友好国の面々(日本を含む)を思い浮かべると正にシネマの悪役キャラを連想するぐらい個性的な人物ばかりだ。

 

明日の保障などという確たるものはない。

 

力の歴史は現在、彼らに受け継がれている。

 

薄氷の上に成り立っている国際平和。

 

その祭典であるワールドカップ、純粋にスポーツとして高みを極めてほしいものだ。

 

 


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世を騒がせるN大アメフト部相手校選手への危険タックル問題。

 

件の監督が大学でのすべての役職を退き、コーチの辞任することで幕を引きそうな気配である。

 

何故このような問題が起きたのか。

 

監督、コーチという組織のトップが試合は自分が得をするために行うという思考に至ったためだ。

 

勝てば自分の地位や名誉、役職も上がり、役員報酬という金銭的利益も増大、学内での発言権は強まり、権力を手中にできる。

 

負ければ全てはマイナス、損をするわけである。

 

チームや選手は儲けるための道具。

 

当然勝つためなら手段を選ばなくなる。

 

相手チームの選手を負傷させて来い、傷害を教唆したのだ。

 

犯罪行為である。

 

そんなつもりで選手に言った訳ではない、言葉の齟齬がそこにはあった、監督、コーチは口を揃えて見苦しい言い逃れに徹した。

 

言った、言わないの水かけ論になり真相はやぶの中かと思われた時、アメフト関東学生連盟は監督、コーチの両名を除名とすると発表した。

 

映像や録音から判断した胸のすくような決定。

 

タッチダウンであったと思う。

 

世の政治家や官僚、組織の長が公的なコメントをする時、彼らは間違いなく法律の専門家に相談する。

 

ここまでは言ってもセーフ、ここから先はアウト。

 

彼らの判断基準は法律であり、道徳やスポーツマンシップではない。

 

法的に許されれば得であり、勝ちなのだ。

 

法的に許される限りは儲けることを考え続ける監督が恥を知らない金の亡者であった場合、これからN大アメフト部はラクビー部に変更します、と言うことだってあり得る。

 

何故なら彼にとってのスポーツは自らが儲けるための道具にすぎないからだ。

 

世の中のスポーツ監督や武道の先生、師範などと呼ばれている者、組織の理事長、社長、会長、政治家のセンセイや高級官僚の皆様。

 

あまりいい気になってはいけない。

 

長年その業界にいようが年齢を重ねようが、威張ってずる賢く立ち回っては駄目なのである。

 

悪事が明るみに出たのなら、素直に謝罪し、組織を退けばよい。

 

潔さは次の人生によい影響を与えるだろう。

 

アメフト騒動を載せた新聞記事を読み終えてふと横にあった記事に目をやった。

 

-首相、いいね文書否定-

 

ダメだなこの国は。

 

 

 

 


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名画と呼ばれる西部劇に「シェーン」がある。

 

先日、観る機会に恵まれた。

 

西部開拓時代のワイオミング州。

 

悪徳牧場主が支配する農場に現れた“流れ者シェーン”

 

農場主の家族と力を合わせて暴力で排除しようとする牧場主に対抗する。

 

最後はガンマンであるシェーンが一人でならず者を撃ち倒し、去っていく。

 

勧善懲悪のヒーロー物語であり、過去似たような作品が世界中でつくられている。

 

にもかかわらず、シェーンがいまだに色あせないで新鮮な魅力を放つ理由は、登場する少年の眼を通して英雄の姿が描かれるからであろう。

 

封切り当時、話題をはせた暴力シーンである酒場での殴り合い。

 

銃での早撃ち決闘シーン。

 

社会的に肯定されぬ描写も少年が目撃することにより、活劇に昇華する。

 

昨日開催された千葉県オープントーナメント空手道選手権大会。

 

道場の選手たちも参戦した。結果は幸運にも優勝者を出すことができた。

 

参加した選手は大変勉強になるいい試合だったと思う。

 

そして応援にかけつけてくれた道場生に少年の姿が多く目立ったことも書いておきたい。

 

これは優勝した選手の魅力と日ごろの少年への接し方の賜物である。

 

普段、優しく空手を教えてくれている先輩が試合場で勝ちあがってゆく。

 

その強さとカッコよさに子どもたちはひきつけられてゆくのだ。

 

先輩のような強い男になりたい。

 

私が遠い昔、大山倍達総裁という人物に抱いた憧憬と同じ感覚を昨日の道場生も持ったのではないか。

 

少年の視線はいつの時代も夢と希望にあふれ、ヒーローを求め続ける。



 

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