みなさまこんばんは。
未来予想図プランナーの菅野美羽です♡
誰からも必要とされない人って何歳まで生きていいんだろう。。。
生きていくお役目がない人は長生きできるはずがない!
そんな理由で自分の人生は30歳までと決めていました^^
30歳以降どうやって生きていくのかさっぱり見当がつきませんでした。
歯科衛生士の仕事を通して30〜90歳代まで素敵だなぁと思う患者さんとの出逢いをご紹介していました♪
→まとめ記事にもご紹介しておりますので是非お読みくださいね。
プライベート恋愛編では当時お付き合いしていた彼とのお話を振り返っています♪
→当時のダメダメだった私の恋愛編です。笑
昨日はそんな私が30歳になる年に突然に転機がやってきたお話でした。
叔父が58歳の若さで脳腫瘍で倒れました。
余命宣告 一年
家族で悩み抜き考えに考えたその答えは。
私、菅野家の養女になる!という決断でした。
叔父と姪の関係から養父と養女になった私たち。
私にとって人生の中で一番大きな決断でした。
今日は父娘ってどんな生活が始まったのかというお話。
養父が患った脳腫瘍という病気。
とにかく進行が早かった。。。
早々に手術をしたのですが日常生活になんどハラハラしたことかわかりません。
養父の場合は左側の視界が欠けて見えるんですね。
だから車や歩行者が左から来ても見えない。
病気という自覚がないものだから車の運転をしようとする!
→これには最初のうちは本当に参りました!
一人暮らしが長かったので自分でなんでもやらないと気が済まないんです^^
ご飯も真正面に出すと左側のおかずが見えないからあることに気づかないんです。
どこまで見えているのか実験しましたね。笑
曖昧な場所はここにおかずあるからね♪と声かけたりしてチェック♪
関係性は父娘になりましたが養父はなるべく自分のペースで生活したいと希望しました。
なので基本は養父は一人暮らし。
元々私と母は徒歩5分の距離に住んでいたので仕事、寝る時以外はなるべく養父のところにいましたね。
ただ時々、家に人がいるのがうざったくなるようで^^
そんな時には様子を見つつ一人にしました。笑
介護って本当に目は離さず手は出さずの距離感が難しいんですよね^^
歯科衛生士でたくさんの患者さんを見てきたのでなんとなくはわかったつもりでいました。
でもいざ身内がそうなると現実はとても難しかったです。
どうしたらいいのかわからなくてイライラすることもありました。。。
自分の弱さ、考えの甘さ、苛立ちを抑えること、やることなすこと初めてでオロオロもしました。
父娘のようで父娘じゃない。。。
本当のところは養父はどう思っているんだろうか?
実の父娘ってどんな感じなのかな?
私は実の父親とは14歳で両親が離婚して以来会ったことがありません。
実の親子関係もまともな関係ではなかったのでどうすることが正解なのかわからなかった。
私たちの場合は余命宣告といういわば期限付きの父娘。
これは今でも当時の私の接し方が正解だったんだろうか。。。と考えることもあります。
一方で暴力を振るわない父親ってこんな感じなんだなぁと第三者目線で見ている自分がいたり。
養父が自宅で過ごす日々は毎日が模索する日々でした。
実験!実験!の毎日。笑
病気でも余命宣告されても自分らしくある時間というものをとにかく大事にしてもらおうとは心がけていました。
いかがでしたか?
それではまた明日22時の配信でお会いしましょう♪
本日もお読みいただきありがとうございました♡
菅野美羽
もうすぐ30歳! 新しい私①
まだ歯医者には行くな 18年歯科衛生士を勤めた私が伝えたい本当のこと