今朝、
長男が、
「オレサマは今日は園には行かないよ!」
(バイキンマンの影響で自分のことをオレサマ
)
と保育園に行くことを拒否する。
パソコンの前に座り、
「オレサマ、仕事があるから園にはいけないんだ」
親の真似をしとる。。。。
話しを聞くと、
お散歩用の帽子がなくなったらしい。
私は、
瞬時に
昔の自分を思い出す。
学校に行きたくなかったのに、
泣き叫んでも怒っても
(親が厳しかったので、そんなことしても無駄だし、むしろ殴られるからしなかったけど。)
何をしても
「学校に行かなきゃ・・・」と
毎朝、重い足を引きずりながら
学校に行ってたこと。
胸がぎゅっと締められて、
身体は固くなり、
がちがちになる。
そんな自分。
瞬時に、
そんな小さい頃の自分になる。
まさに、
記憶と感情感覚が身体に刻み込まれてるんだな。
よしよし。
よくがんばった。
そんなに嫌だったのに、
よく学校に通ったね。
よくやった。
小さい頃の自分に声をかけてあげる。
親子の関係って
すごく多いと思うんだけど、
自分がある程度癒されてないと、
子どもに問題が起こったとき
(それを問題ととるかどうかもだけど)
子どもの問題と自分の問題を切り分けられない。
共依存。
「子どもの問題だ」と、
そこを解決しようとしてるのかもしれないけど、
実際は、
幼少期の自分の問題を無意識に持ち込んで
戦っていたりする。
子どものことなのか、
自分のことなのか、
ごっちゃになってる。
昔の自分をひっぱりだして、
自分の子どもと重ね合わせて、
その状況に巻き込まれてしまう。
そんな話、
実はすっごく多いんではないか?
で、
長男のことなんだけど、
夫が、
「帽子が無いから、園に行くのが嫌なのか?」
「新しい帽子を買おう」
「今日は、雨だから、散歩はない。帽子も使わないから安心していいぞ」
そんな実際的なやり取りをしていた。
(男性のこんな実際的なやり取り、みてて気持ちがいい)
そこに納得したのか、
長男は
素直に車に乗って、
園につくと、
先生から
赤い帽子を買って、
弟を連れ、
「よし!遊びに行くぞ!
お母さん、またね!」
元気に行ってしまいました。
