本物か?偽物か?
心の学びを始めて、もう12年。
ただ、心が楽になりたくて。
それだけを願って、
いろんな方のもとを訪ねてきました。
そんな中で、いつも私の中にあったのは――
「この人は本物か?偽物か?」
そんな目で、じーっとその人を見ていた気がします。
心のどこかで、“見張っていた”ような感覚さえありました。
「この言葉が出るなら、この人は本物だ」
「こんな行動をするなら、やっぱりわかってないな…」
そんなふうに、無意識にジャッジしていた私。
でも、ようやく“平安”に行きついて思うのです。
ああ、人はどこまで行っても「人間(エゴ)」なんだなって。
肉体そのものがエゴで、
その肉体(エゴ)から出る言葉や行動だって、
そりゃ、間違うこともあるよね。
そして、そんなふうに人を見ていた“私”こそ、
まさにエゴそのもの
この世界には、エゴだらけで、
清廉潔白、高貴で純真無垢で、完璧な人間として生きることなんて
おそらくものすごく不可能に近い、、
そして、、
みんな、自分も。
それぞれの「自分」というフィルターで
この世界を見ているだけ。
だから、神のように正確に的確に確実に
判断なんてできない。
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ちなみに、私は「コテンラジオ」が好きなんですが
歴史の偉人とされる人たちも、
完璧じゃない、いろんな側面がある。
そんで歴史も紆余曲折。
人間って、本当におもしろい。
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そして、今、心から感じているのは…
静けさや平安は、
そんな「この世界」とは無関係に、
ずっとここに在ったんだということ。
ただ、それだけだった。
そう気づいたら、
人の言動も、
間違いだらけの「私」も、
以前ほど気にならなくなりました。
間違えても、それはそれ。
失敗しても、それはそれ。
だって、それが人間。
でも、静けさだけは変わらない。
「誰のことも戦場から見てはならない。
そこでは、存在してもいない場所から
相手を見ることになるからである。」T-23.Ⅳ.7:1