歌舞伎座 三月大歌舞伎 | 五反島愚記

五反島愚記

日々の取るに足らない話や、歌舞伎や歴史ついても、備忘のために書いていきたいとおもいます。
私的な愚記ではありますが、読んでいただければ幸いです。

先日、歌舞伎座の三月大歌舞伎をみにいった。

 

 

 

この日は曇り空で雨が降りそうだった。

富士もまったくみえなかった。

 

 

 

東京駅に着いても、なんとか雨は持ちこたえてくれたので、いつもどおり歌舞伎座まで歩いた。

途中、桜も咲いていたが曇り空で何かどんよりしていた。

 

 

 

先月ぶりの歌舞伎座。

 

 

 

 

第一部は「花の御所始末」という演目で、室町幕府六代将軍の足利義教が、悪事を働き将軍まで上り詰める隆盛と、その末路までの半生を描いた作品だった。

 

 

 

昭和四十九年に初演され、昭和五十八年に再演されて以来、四十年ぶりの上演だそうだ。

 

 

スピーカーから音楽が流れて始まりだした。

何の前提知識もなく、そういった作品だとは知らず驚いた。

スピーカーからの音楽だけでなく効果音も流れ、スポットライトなどの効果照明なども利用した演劇になっていた。

 

歌舞伎とは何だろうかと思った。

 

いわゆる歌舞伎っぽさがなく、時代劇の大衆演劇をみているような感じだった。

歌舞伎役者が演れば何だって歌舞伎だと言う人もいるが、そうなると鬼平犯科帳も歌舞伎なのだろうか。

 

ただ江戸時代、歌舞伎は大衆演劇で、当時の人は伝統芸能という意識もないし、こういう風にくだけた様の演劇をみていた感じだったのかもしれない。

 

と屁理屈ばかり言っているが、内容は分かりやすく気軽に楽しむことができた。

松本幸四郎さんの暴君ぶりも見事だったし、悪人ではあるが何か魅力を感じた。

 

 

 

新しい緞帳になっていた。

 

 

横山大観の「霊峰飛鶴」。

色使いがとても綺麗で、とてもいい絵だ。

 

 

 

第二部は仮名手本忠臣蔵の十段目「天川屋義平内の場」から始まった。

 

 

十段目はほとんど行われることはなく、たまに通し狂言の際に行われることがあるそうだ。

最近では、平成二十八年に国立劇場での通し狂言で行われたようで、歌舞伎座に限れば五十八年ぶりの上演になるそうだ。

 

 

十段目は映像でもみたことがなかったので、楽しみにしていた。

 

主人公は中村芝翫さんが演じる堺の商人天川屋義平で、大星由良之助に討ち入りの武具調達を依頼されている。

そんな中、捕手が突如やってきて義平に討ち入り計画を白状させようとするが、義平は応じない。

実は、この捕手らは大星ら浪士で、義平の心の内を試そうとしたのだ。

 

義平は肝が据わった義をみせるのはよいが、義を重んじる浪士たちが、義平を疑い試すようなことをしているのは、どうなんだろうと思ってしまった。

 

何か腑に落ちない感じがした。

 

やはり通し狂言でも十段目は飛ばした方がよいのかもしれない。

浪士たちの義理人情が台無しだ。

 

浪士の一人を演じた芝翫さんの三男歌之助さんが、よく通る良い声だった。

去年の中村座でも良かったし、色んな演技をもっとみてみたいと思った。

 

 

 

次は身替座禅。

 

 

尾上松緑さんが演じる山陰右京が、愛人に会いに行くために、中村鴈治郎さんが演じる妻の玉の井に持仏堂での座禅を願い出る。

一夜だけの座禅を許された右京は、家来の太郎冠者を身替りに座禅をさせ、愛人に会いに行く。

 

しかし、玉の井にばれてしまい、太郎冠者に替わって玉の井が座禅をして、右京の帰りを待つという、とても滑稽で面白い演目。

 

玉の井の恐妻ぶりを演じた鴈治郎さんが、風貌もぴったりで上手く演じられて、おかしみも増した。

 

一方、右京を演じる松緑さんが、ひょうきんさも足りず、酔っ払っている感じも今ひとつな感じがした。

勘三郎さんの右京がとても面白く、その印象が強く、そう思ってしまうのかもしれない。

 

観客の小さな子供が大笑いしていて、楽しそうで微笑ましかった。

 

 

 

 

 

第三部は「髑髏尼(どくろに)」という演目から始まった。

 

 

こちらも珍しい作品で、昭和三十七年以来の上演だそうだ。

 

またもやスピーカーからの音楽と効果音、照明効果があった。

こちらも「花の御所始末」と同様、歌舞伎っぽさがなかった。

 

しかも物凄く後味の悪い作品だった。

なぜこれを今、復活上演させる必要があったのだろうか。

 

物語としてはまったく楽しむことができない作品だが、髑髏尼を演じた玉三郎さん、七兵衛を演じた中村福之助さんの演技が大変素晴らしかった。

 

何でこの作品なんだろう。

幕引き後、客席には何とも言えない空気が流れていた。

 

 

 

最後は廓文章だった。
 

 

髑髏尼の後、この廓文章には救われた。

 

伊左衛門を演じた片岡愛之助さんは、はんなりと色気があり、夕霧を演じた玉三郎さんは、なんとも華麗で優美であった。

伊左衛門も演じられる中村鴈治郎さんは、今回は喜左衛門を演じ、こちらもまたよかった。

 

最後、伊左衛門が扇子を高らかに上げ幕切れとなるのをみて、やっぱり歌舞伎はいいなと思った。

 

あの後味の悪さから、心晴れやかに終わることができた。

 

 

筋書

 

 

何か今回は文句が多くなってしまった。

 

外に出ると雨が降っていた。

足早に宿泊先へ向かった。