佐藤琢磨にまつわるエトセトラ | chihiroイグレシアスの ぼんくら日記

佐藤琢磨にまつわるエトセトラ

佐藤琢磨がインディ500を制すると云う歴史的快挙から早や一週間が経ち、当初はほとんど黙殺に近い状態だった各マスコミも 「・・・・・・ これって、実は相当大変なことみたいだな」 と、恐る恐る、と云った体で 「歴史的快挙 (らしい)!」 と、後追い報道するようになりましたね。

 

 

「ったく、遅いよ!」 とは思うものの、何もしないよりはマシ。 これを機に、ガラパゴス化している価値観を改めて貰い、いま一度、F-1やル・マンなどのクラシックモータースポーツイベントの国際的な価値を再認識し、ちゃんと国民に啓蒙して欲しいモンです。

 

当の琢磨はと云うと、「人生が一変した」 と云うぐらい、分刻みのスケジュールに追われることになり、今日はNYの証券取引所を表敬訪問、明日は何処そこの州知事主催のパーティーに出席 ・・・ と、まさに英雄としての扱いを受けているようですね。

 

 

ただし、睡眠時間も 3時間程度しか無いと云うのだから、本業に障りがない程度にして欲しいモンですが、こればっかりは本人の決める事ではないし、「英雄はつらいよ」 ですな。

 

むかーし、ミカ ・ ハッキネンが初のF-1タイトルを獲った時、歓喜に沸く人垣の中、ニコニコしながら寄ってくるチーム広報に嫌な予感を感じたそうです。

 

 

果たして、広報担当氏が渡したメモには、向こう3か月間のスポンサー様主催のPRイベントの殺人的なスケジュール表が載っていたと云いますが、琢磨もまさに今、そんな目に遭っているのでしょう。

 

 

「オレ、サッカーとかってやったことないんだけど ・・・・・ 」

「グズグズ言わないの。 仕事、仕事!」

 

ただ、そうなってくると、程度の低いことを言ってくる奴も現れる訳で。

 

デンバーだか何処だかの新聞記者がツイッターで 「日本人がインディ500に勝って、本当に嫌な気分になった」 とかツイート。

 

たちまち批判的なリアクションが殺到し、直ぐに削除するも時すでに遅し。 勤務先を電撃解雇され、「既にわが社の被雇用者ではありませんし、彼の信条、言葉は我が社のスタンスを代表するものではありません」 と、徹底的に社会的に抹殺されてしまった。

 

書いたことは愚かだけど、正直、「何もそこまで」 と思わんでもないですな。

 

ただ、その一件で改めて思ったのは、インディーカーシリーズは本当に、ホワイトカラーに支持されているシリーズなのだな、と云うこと。

 

アメリカを代表するモータースポーツのシリーズと云えば、インディーカーシリーズと、NASCAR (ナスカー、National Association for Stock Car Auto Racing、平たく言えば、市販車っぽい格好のレース専用車両で行う、アメリカ独自のレースシリーズ) ですが、NASCAR が今でも南部の低所得者層に熱烈な支持を受けているのに対し、インディーカーは都会のホワイトカラー層に支持されているのだそうです。

 

 

NASCARは今日も盛況ナリ、の図。

 

わかり易い対決構図を作ってしまうと、「都会のエリートに支持されているインディ」 VS 「田舎の労働者階級に支持されるNASCAR」 と云う訳で、驚いたことに、「どっちも好き!」 と云うファンは居ない、いや、あり得ないんだそうです。

 

どっちかの立場を取らざるを得ない (そしてそれは、収入や住んでいる地域である程度決められてしまう!) と云うから、いやはや、まさに 「トコロ変われば」 ですな。

 

前置きが長くなりましたが、要は、ホワイトカラーの皆さんは、「我々インディファンの前に現れたニューヒーローを、人種差別的な言葉で汚すとは、容認しがたい!」 となってしまったのでしょう。

 

これがインディじゃなかったなら、あるいは、他のスポーツイベントだったなら、こうまで過剰な反応になったんでしょうかね。

 

むかーし、アメリカに行った時、どうせ判んねえだろうと思ったんでしょう、高校生ぐらいの女の子に差別的発言をされたことがあって、「ああ、やっぱ人種差別ってフツーにあるんだ!」 と、新鮮な驚きを感じたことがありましたが、やっぱり差別ってあるんですよね。日本国内でだって、かなりキツい差別はそこここで眼にするし、耳にするし。

 

 

ひとつ利口になったね。

 

ただ、アメリカのホワイトカラーは、自分達の誇りに賭けて? それを許さないんですね。 それは驚きだったし、まあ、琢磨も巻き込まれて災難だったね、とは思います。

 

F-1では、メルセデスのハミルトンがインディーカーシリーズに対して侮蔑的な暴言を吐き、インディーカーシリーズの重鎮 ・ トニー ・ カナーンに、これ以上はないってぐらいの鮮やかな、かつ、こんりんざい沈黙せざるを得ないぐらいの強烈な反撃を喰らっていたけど、どうしてコイツはこうもバカなんだろう?

 

 

ラッパー気取りは、そろそろ止めた方がいいと思われ。

 

仮にもチャンピオン、しかも複数回獲っているような、影響力の強いドライバーだってのに、街のチンピラレベルの暴言をしれっと吐いちゃうんだから。

 

あまりにもレベルが低い、F-1の住民独特の歪んだ、鼻持ちならないエリート意識が滲み出た発言なので、ここでは紹介しません。 興味のある方は、ご自分で調べて、嫌な気分になってください。

 

さて、いろいろ思うトコをだらだら書き連ねましたが、ここからは皆さん、大マジですよ。

 

新しい英雄が現れると、その英雄にぶら下がって小銭を稼ごうとする輩が現れるモンですが ・・・

 

西村 幸祐」

 

こいつが琢磨について何か発言しても、皆さん、全力で無視しましょうね。

 

この 「西村幸祐」 なる人物、90年代初頭に突然 「自称 ・ F-1ジャーナリスト」 として現れた人物ですが、その著作物たるや、先人が自費で海外に渡って取材した、まさに 「血と汗と涙の結晶」 とも言える過去の著作物をしれっと引用しまくり、テキトーに編集して 「ほい、一丁上がり」 と出版した、とんでもない代物。

 

「聞いたことのない人だが、どんなことを書いているのだろう」 と、購読したワタクシ、血が逆流する思いでしたよ。

 

「ここは、あの人のあの本、ここは、あの人のこの本 ・・・・ 全部引用じゃねーか! 高校生の夏休みの課題作文か!」

 

本を捨てるなんて罰が当たると言われて育った世代ですが、この時だけは捨てましたからね、本を。 それぐらい許しがたい代物だった。

 

そんな、ワタシのような素人にでも、何を下敷きにしているのか、見破られてしまうような著作物でも二冊、三冊と出版できた理由は、当時は F-1が世界的なブームで、F-1に関連するモノだったなら、何でも企画が通ってしまうような時代だったからに他なりますまい。

 

90年代初頭は 「自称 ・ F-1ジャーナリスト」 で活動、ほうぼうの媒体で薄っぺらい怪文を寄稿し、でも仕事があったのは、時代が味方をしたのでしょう。

 

日本のモータージャーナリストの草分けとも言える方が不定期発行していたムックの中で、「各国の F-1ジャーナリストは、果たしてどのくらい F-1の 『いま』 を理解しているか」 という、ちょっと意地悪な企画があったのですが、各国のジャーナリストが 「よくぞ訊いてくれました」 とばかりに、日ごろの取材の成果を 「これでもか」 と開陳するのに対し、ど素人でもそんな回答しねえよ、と云う 「怪答」 をして、質問者を呆れさせたのも、この御仁。

 

その後、「ボクの正体はサッカーフリーク」 と云う、F-1ファンを怒らせ、サッカーファンを困惑させる 「迷言」 を残して F-1のフィールドから去り、発足間もない Jリーグに取材の軸足を移して以降は、何処で何をしているのか知らなかったのですが、琢磨観たさに YouTube を観ていたら、出てきたんですよ、コイツが。

 

 

ジダンさん、やっちゃってください!

 

この御仁が自ら発足させたらしいWeb番組で 「佐藤琢磨に国民栄誉賞を」 とか 「どうして日本のマスコミは、この快挙を報道しないのか」 とか、憂慮に堪えない、と云った体でとうとうと (ただし、相変わらず薄っぺらい内容で) 語っているのを観て、「・・・・・ 今度は琢磨とインディに寄生するつもりか」 と、久々に怒りがこみ上げてきました。

 

近年じゃサッカーからも離れて、憲法第9条を語る論客として活動しているようですが、機を見るに敏と云うか、ようは確固たる信念も、ジャーナリストとしての己の拠り所も持たない、風見鶏も恥ずかしくて関わろうとはしないような輩と云うことですよ。

 

そんな輩が、優勝した途端に 「私は昔から佐藤君を応援していた」 と言わんばかりに琢磨にすり寄ろうとしているのだから、琢磨の周囲の人たちは、コイツを寄せ付けちゃダメ、絶対!

 

まあ、いまや超VIP の琢磨が、コイツの取材を受けることも、TVで対談することもないでしょうが、ワタクシの駄ブログを面白がって読んで下さる方々に老婆心ながら、でも、くれぐれも申し上げます。

 

「西村幸祐」

 

こいつが琢磨を語っても、それは傾聴に値しませんから!

 

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餅は餅屋でってコトで。