勝手にしのばさんの記事をリブログ。
しのばさんの記事で思い出しのが、昔読んだ本で、確か、昭和初期頃の養護学校の教師の目を通して書かれた自閉症や知的障碍のある子ども達の話だった。
その一節に、鉛筆を集めるのが好きで、およそ500本程持っている子がいて、その子は一本でもなくなると、すぐに分かってパニックになるのだとか。
ただし、その子は数を数えることは出来ない子なので、数を数えて1本足りないと判断するのではなく、おそらく、1本1本の鉛筆の柄や長さなどの特徴を全て記憶しているのだろう、と。
この話を読んだ当時は、へぇ~くらいにしか思わなかったけど、これなんかは、サヴァン症候群だったのではないだろうか?
(昭和初期の時代なので、その頃にサヴァン症候群ていうものが認知されていたかどうかは謎だけど)
その頃、私は自分に発達障碍があるとは知らなかったものの、その子のことが、なんとな~く、感覚として分かる気がした。
私も映像の記憶で認識する傾向があるから。
例えば、誰かに道を説明するとする。
普通の人は
○○駅の東口から降りて、○○街道を東に100M直進し、○○2丁目の交差点、パン屋さんのある角を北に左折、50M程度直進した左手の○○ビル5F。1階はドラックストアになっている。
・・・などといった感じの説明をすると思う。
私の場合・・・
○○駅を降りたら、○○の像のある出口から出て、最初の道をドーンといって、パン屋さんのある信号を左に曲がって、暫くいったら、左手にダイソーさんと○○っていう飲食店とマツモトキヨシが並んでいるところがあって、そのマツキヨのビルの5階。(あ、マツキヨの道を挟んだ向かいにはイオンがあるよ。)
といった感じになる。
おわかりいただけただろうか?
何メートル直進とか、そういう概念を加えず、ひとつひとつの視覚的な特徴や風景を説明する感じになると思う。
私は、風景で認識しているので、どうしてもこういう説明になりがち(笑)
困ったのが、私の実家のような田んぼと山しかないような、これといった目印になるような建物がない場所を説明する時だった。
実家にいた頃、実家の近くまで車で迎えに来てくれるっていう人に、どうしても口で上手く説明できる気がしなくて、地図を書いて渡したところ・・・
『これ、お前、地図っていうか風景画じゃねーか?!(笑)』って笑われた(笑)
(だって、目印になるものがないから、近所に生えてる大きな木とか家が何軒並んでいるかとか描くしかなかった(笑))
(しのばさんの記事からコピペ)
まだ言葉でのコミュニケーションが
発達してなかった時代
先人は伝達するために
高い視覚的記憶力が必要だったのではと。
その記憶力により
絵で表現していたと。
言葉の発展と共に
昔々の人が持っていた能力は
失われてきたのかもしれないと。
そういうことなんだろうなぁ~って思う。
言語とか数の概念が生まれる以前は、そういう視覚的記憶に頼っていたんだろうなって。
宗教画なんかも、文字が読めない人にも理解しやすいように絵にしたと言われてるし。
言葉で情報を伝えるようになっても、感覚的に理解しているものを言語化するのって難しい・・・。
例えるなら、感覚で作ってる料理の調味料の配分の説明を求められると難しいのと同じなのかな。(え?普通は難しくない?)
何グラムくらい、とか大さじ1、とか、普通の人は普通に説明できちゃうのかもしれないけど、私にはそれが難しい・・・・・。
家具の説明書なんかもそう。
家具を組み立てるのは大好きなんだけど、如何せん、私は説明書を読むのが苦手・・・。
ニ○リの家具の組み立て説明書は、非常に分かりやすく説明が書かれているし、大抵は素人でも組み立てられるようにシンプルな構造になっているとは思うんだけど、文字で丁寧に説明されるほど混乱しやすい。
その点、イケアの家具の組み立て説明書は、ほぼイラストのみ。
絵を見て、この形のネジはここに差し込むのね・・・って感じで非常に分かりやすい。
海外製品の説明書っていうと、ご親切にも、英語、フランス語、中国語・・・といった各国の言語で説明されたマニュアルがあったりするけど、どの国の人が見ても分かりやすいイラストで描いたのは、イケアの創業者がディスレクシアだった影響なのだとか。
視覚情報重視者は、ニ○リよりイケアよ(笑)