ASD+ADHDであるということ | 発達障害家族の記録

発達障害家族の記録

発達障害について、当事者として、
当事者の家族の立場としての両面から書いてます。

私はASDとADHDの合併型タイプで、どちらの特性もそこそこ強めだということを踏まえて。

 

 

 

ミー太郎さんが、私が先日記事でご紹介した『家族不適応殺』を読んでくださって、それについて書かれた記事(アメ限)のコメントのやり取りから一部抜粋(ミー太郎さん勝手にすみません)

 

ミー太郎さん:後、少し驚きなのがADHDの人の緩さはASD強めの人には…暴力的なものとして感じられるんですか…(・Д・)

私:ハイ、そうなんです。私もASD特性持ちだから分かるのですが、ADHD的なその場しのぎでついた嘘とか、その時の気分でコロコロ言うことが変わるとか、言葉通りに受け取るASDとしてはキツイものがありますね・・。

 


コメントで説明不足だったけど、これは無自覚で重度のADHDな母に対して私の中のASD特性ではそう見えるという話。

(おそらく新幹線無差別殺傷事件の犯人小島一朗も同じだったのではないかと想像した)

 

 

私はASDにとってADHD的な緩さは”暴力”と、あえて強い表現で書いたものの、普通の人はビックリすると思う^^;

なぜなら、普通の人ならそこまで強くは受け止めないから

 

 

例えば、ADHDと思われる人が職場にいて、いつもギリギリで提出物を出すとか、言われたことをウッカリ忘れるとかが頻繁にあるとする。

 

普通の人:『はぁ・・・・あの人またかぁ・・もうしょうがないなぁむかつき

 

ASD:『はあ?!ムキームカムカムカムカまだやってないってどういうこと?!やる気ないんじゃないの?!言ってやらねば!!ムキー炎ムカムカ

 

くらい違う。

 

普通の人は、ADHDの先延ばしや不注意に段々と慣れて、『この人はこういう人』って諦めが入っていく。なんだかんだ言っても普通の人の大半は(ASDと比べて)柔軟さがある。

 

ASDの人も拘りがないことなら、『じゃあどうするか』って思考の切り替えは出来るのだけど、自分に関わることとなると思考の切り替えが苦手。

 

約束したことをスッカリ忘れられたり、やるって言ったことをやってなかったりすると、普通の人の3倍以上ダメージを食らう。

だから、普通の人の3倍以上、ADHD由来のことが許せない。

 

ADHDを最も理解しがたいのは普通の人ではなく、むしろ同じ”発達障害”を冠するASD・・・・。

 

 

逆にADHDにとってもASDの拘りの強さは、3倍以上負担に感じることがある。

ASDが自分に対してだけ拘りを向けている分には構わないけど、他人に向けて『こうあるべき』思考が行き過ぎれば、他人の自由な意思や自由な決定を押さえつけてしまう。

自分の自由意思を抑えられることを最も苦手とするADHDにとっては普通の人以上にストレスになると思う。

 

 

ASDはADHDに対して『なんでこんなことも出来ないの?』って思う。

 

ADHDはASDに対して『ちょっと考えれば分かるじゃん?』って思うのだ。

 

 

 

ASDもADHDもどちらもドーパミンなどの神経伝達物質が関係しているらしいけど、ADHDはドーパミン不足から、集中力の低下やエネルギーが発動にしにくく全体的にやる気がない人と見なされやすいのかなって思う。

 

一方ASDは、脳内でドーパミンD2/3受容体の減少が認められており、これがASDの中核症状である社会的コミュニケーションの困難に関与しいる、とのこと。(←これどっかのサイトにこう書かれてたってだけで、意味はよくわかりません)

 

難しいことは私には分からないけど、我が家のASD組を観察すると、不安を感じやすいのはこの脳のしくみのせいなのだろう。

 

 

我が家の発達特性を観察すると、ASDとADHDでは、ドーパミン不足の解消方法が違うのだなって感じる。

 

 

ADHD母は、楽しいと思うことでやる気スイッチが押されるらしい。外で人と会ったり、好きなことをやることで、ドーパミンを補っていたように思う。

 

 

対するASD組は、義務が根拠であれ、目的を達成して初めてドーパミンが分泌される感じ?だからプロセスがどうであれ、タスクを完遂することだけが重要で、結果を早く求めたがる。

 

 

こんな性質の異なる特性が両方あるASD+ADHDの混合型の脳はというと、当然この二つの特性が毎日脳内でバトルしている(笑)

 

でも、脳内でASDとADHDがバトルしてることで、どちらの行き過ぎも抑止してバランスを保てるメリットはあると思ってる。

 

同じ混合型の人でも、ASDとADHDの両方がタッグを組んで通常の3倍くらいの成果を出せる人もいるかもしれないけど、少なくとも私はタッグを組むとろくなことになってない(笑)

脳内バトル状態がちょうど良いらしい・・・。

 

 

脳内バトルを繰り返してきた結果、思うことは、

ADHDには一つくらい、コレっていう縛りはあったほうが良いと思う。あまりに縛りが無さすぎるとなんでもアリになってしまうから。

 

ASD的には極力他人に期待しないことだ。

思った通りにならなかったら、自分はキレるだろうなってわかってることなら、いっそ全部自分が引き受けてしまえば良い。

”これは自分の役割”って強く意識したほうが、周囲とぶつからずに済むし、サポートしてもらえたら素直に有難いと感じることが出来る。

 

ASDの当事者さんで、役割分担の公平さに拘らないと仰ってた人は、自分のことをよくわかっているからだと思う。

 

 

普通と違う特性持ちなのだから、普通と同じようなやり方では上手くいかない。

まずは自分を理解して、自分の中の相反する特性同士と上手く折り合いをつけるしかないのかなって思う。