正月休みに観た映画の話。(極力ネタバレしない程度に私の主観で書いてみる)
『夜明けまでバス停で』
このタイトルだけで、あ、あの事件がモデルだろうなってピンときた。
っていうのも、この映画のモデルになった事件(渋谷ホームレス殺人事件)。チアーさんが過去に記事で取り上げてくださるまで、一時期あがっていたネット上のデマ(被害にあったのは100円頂戴おばさんだというデマ)を鵜呑みにしてました。
自分の認識が間違った情報だったと知ると、正しい情報に興味がわくもので、その後、あの事件に関する記事をいくつか読んで
なんか・・・こう上手く言葉で表現できないんだけど、『なんだか悔しいいなぁ・・・』とか、『世の中の理不尽だなぁ~』とか、どこに怒りの矛先を向けて良いのか分からないモヤモヤっとした気持ちになった。
そんなわけで、印象に残っていた事件なだけに、映画のタイトルでピンときたんだけど、実際の事件の被害者の方の生前の人柄やホームレスになってしまった経緯からして、映画を観た後に重たい気持ちになるであろうことは覚悟して観てみた。(現在アマプラで有料配信中)
映画の中の主人公の『あたし、真面目に頑張ってきたんだよ』って悔しそうに語るシーンが、私的にはこの映画の核を成していると思った。
映画のモデルとなった実際の事件の被害者も、自分なりに必死に生きてきても、ある日突然、どん底に突き落とされ、さらに追い打ちをかけるようなひどい目に合わされたわけで。
”これは明日の自分かもしれない・・・”
そういう想像を掻き立てられるには十分なストーリー。
けれど、この映画は、むしろ事件の加害者側こそ、
『それはあなたじゃないですか?』
と視聴者に問いかけてるようにも受け取れた。
っていうのも、映画の中では、加害者がどんな人物かって描写はなくて、それは敢えて加害者の人物像そのものをボカして、加害者に影響を与えたものに焦点を当てていたから。
映画のモデルとなった実際のバス停での事件のほうの加害者は、周囲とあまり上手くいっていなかった模様。彼もまた、生きにくさを抱えつつ自分なりの努力をしてきたのではないだろうか。
どちらかと言えば、努力してきてもホームレスになってしまう人より、ギリギリのところで頑張っている人のほうが多いはず。
そういった人もまた、自分の境遇の不満から、『真面目に頑張ってきたのに!』って、腹のそこに沸々とした不満を抱えてたりするはず・・・。
そういう意味では被害者・加害者、共通したものがあったはずなんだけど、
自分は頑張ってる、でもあの人は頑張ってない。ズルい!!
・・・みたいな。
社会の中での自分の立ち位置に打ちのめされ、自分のより頑張ってないのにのうのうと生きているような人(に見える)が許せないっ!って気持ちに陥りやすい。
それが、立場が弱い相手なら、自分の足を引っ張る存在として排除しても良いって思考に達して、行き過ぎた行為を後押ししてしまう。
(そこは作中で表現されていた)
世の中にはびこるバイアスによって打ちのめされた人が、バイアスによってさらに弱い立場の人を叩く。
そんな今の社会の構図を表現した作品だな、と思った。
まあ、そこは私の主観でみた勝手な解釈ではあるけど(笑)
ああいった事件を起こすまではいかなくても、社会の中で抑圧された者同士でいがみ合う・・・みたいな関係性って常に身近に存在しているんじゃないかな・・・と思う。
そういう部分とか弱者のルサンチマンとかに焦点を当てて、あの事件を映画にした着眼点は良かったと思う。
ただ、映画のほうも、実際のほうの事件の被害者の方も、生活保護も受けず(受けられなかった?)路上生活をしていたという話だけど
人を頼らなかった被害者の心情にもうちょい踏み込んでほしかったかな・・・(いや私の想像力の問題かも、だけど)
被害者の生前の人柄もあって、被害者を知る人は、もっと気にかけてあげればよかったと後悔の念に駆られたようだけど
理由はわからないけど、誰かに頼るって考えは端から持ち合わせてなかったのかな〜と。
だから、映画の『夜明けまでバス停で』のタイトルの通り、仕事が見つかる(夜明け)までの一時の間の不遇に耐えて、以前のまっとうな生活をしようとしていた矢先での事件だったのだろうな。
それだけになんとも悲しい。
渋谷ホームレス事件の加害者の40代男性は、自首した後、保釈中に自殺したのだという。
映画よりも実際の話のほうが、なんともやるせない。