考えるということについて考えてたら、置き換えに気づいた! | 発達障害家族の記録

発達障害家族の記録

発達障害について、当事者として、
当事者の家族の立場としての両面から書いてます。

ココ最近、考えない人について思った事を書いてきました。


コピペ族

 

 

人に頼るっていうのにも能力が要るのよ・・・・

 

 

頂いたそれぞれの方からのコメントのお蔭でさらに私の思考も広がっていく気がします。

こういうのがブログをやってる醍醐味なので非常に有難いです。m(__)m

 

これは私がひとつの物事に囚われやすい脳だから思うことなんですが・・・

情報って料理で言えば材料だと思うんです。

その材料を脳内でどう調理するかは、人それぞれだから面白いんだと思います。

 

同じ材料(情報)から作るメニューは同じかもしれないし、違うかもしれない。

元々自分がもっている材料に新たな材料が加わることで、メニューの幅が広がったり。

 

考えるっていうのはそういうものだと思ってるんです。


私も家族も生まれながらにして、ひとつの物事にだけ囚われて、

いろんな問題を抱えてきました。


だからこそ、知識や情報は、自分の思考を広げて、自分を自由にするためのものであって自分を縛るものであってはいけないと思ってるんです。

 

・・・・と言いつつ、ずっと同じことを考えてしまうのですが(笑)

 

それで、今まで頂いたコメントや読んだ書籍、ブロガーさん情報などから得てきた知識から、また色々と思考をめぐらせてみたんですが

 

コピペする脳の人への違和感(気持ち悪さ)って、

多分自分で考えてないで、誰かのコピーをしてるだけで満足・安心しているところにあるんじゃないかと思いました。

そこには誰かに決めてもらいたい、という依存があって、

決まっている=安心なんだな、と。

 

その安心のために、他人を巻き込んで他人の自由を奪っている、ということに、本人が気が付いていないことが気持ち悪さの正体だったのではないかと考えました。

 

 

そんなことを考えながら、ふと自分がコピペしてきたことを振り返ってみると(前の記事のコメントにも書きましたが)

 

私の子育ては、育児書コピー状態でした(笑)

子供は一人っ子で、はじめての子育てだったから・・というのもありますが

私は、自分が親からまともな躾をされてこなかったのと、当時は周囲に子育てのアドバイスをしてくれる存在がなかったので、とにかく育児本がバイブルでした(^_^;)

 

私でなくても育児書を参考にする人は普通にいたと思いますし

知らないことは、まずは知識としてコピーするものかもしれませんが


そこで止まる人(考えない人)と、そこから新たな情報を加えつつ調整していく人(考える人)、と分かれるのかもしれません。

 

 

私の子供が赤ん坊だった時、母親から「そぉ~んな!育児書どおりになんていかないわよ!」って言われたんで、腹が立ちましたよ!

 

育児書すら読まずにろくすっぽ育児のことを勉強しなかったから

あたしみたいに育ったんだろうが!ムカムカムカムカヾ(*`Д´*)ノ"

 

親としての反省はないのか!・・・と

 

思い返せば、私は自分を親の育児失敗の結果だと思っていたから、

それを自分の子供に繰り返したくなかっただけなんですけど

 

でもそれは、育児本のようなものから得た知識を、我が子に押し付けてただけだったのかも・・;;(∩´~`∩);;

といっても、母の言うように、途中で育児書通りにはいかなくなりましたけどね・・・(笑)

 

そして、これは私の親も同じだったんじゃないか・・と。

発達障碍ありな両親は、社会の荒波にもまれ続けて

こういうのはダメって情報を、知識として得てきたと思う。

 

けれど、その情報から内省して、どうすれば良かったのかと考えることなく、得た情報を知識として、それを子供に置き換えてきたんじゃないか、と。

 

親が私に言い続けたことって、

それ自分のことでしょ!!

・・・っていうのは多かったのです。

 

 

つまり、子供にダメだダメだって言い続けたことって親自身のことであって、それを子供にダメだダメだと叱ることで、親としての教育だと本人はいたって真面目に考えていたのではないか。

 

いや、考えてた、というか

ぶっちゃけ考えが足らないんですけどね・・・・・・・。

 

こうであるべき、これは駄目っていう上辺だけの知識を得たってだけで親としての責務を果たしてる気になっていただけ。

 

ひとつの物事に囚われることで安心したかったんだと思います。

 

母は自分が家事能力のなさから、子供には教育論と称して家事を全般を姉と私に押し付けてきましたが、


あれって自分が楽をしたかったから・・というのもあったと思いますが


子供に厳しくすることで、家事出来ない母自身も世間が良しとされる基準の枠内に入れた気がして安心してたんじゃないかな・・・と。

 

母の場合、家事能力のなさ以上に、自分は悪くない!っていうふてぶてしい態度のほうが反感買ってたことに気づくわけもなく・・・。

 

そして私も自分の安心のために、似たようなことをやってしまった・・・と。

 

表面上の知識だけで満足すると、表面の出方だけ違ってみえても本質は同じ、ってことで歴史は繰り返すものなのかもしれませんね。