パレスチナ自治区に行ってきました。そして考えたこと。 | 足裏から見た世界 足つぼセラピストmarikoの世界旅行

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足つぼセラピストmarikoによるふらふら世界旅行。2015年6月29日出発しました!

こんにちは!
まりこです!


イスラエル3日目の10/6はエルサレムから少し離れたベツレヘムとヘブロンという街に行ってきました!



ベツレヘムはキリストが産まれた街です。
生誕教会という教会があります。


でも今回の記事は主にヘブロンのことを書こうと思います。



イスラエルは現在の国として建国してまだ70年しか経っていません。

その前はパレスチナと呼ばれてアラブ人が住む地域でした。


しかしさらに3000年前にはユダヤ人が住むイスラエルという地域だったのです。


地域柄色々な国に侵略されたイスラエルを逃れてユダヤ人達は世界中に散らばります。
それがディアスポラ。
私も名前だけは歴史の授業で聞いたような聞かないような。。。


しかしユダヤ人が安息の地を求めて再びイスラエルに終結し始めます。
それが120年前くらいに始まったシオニズム。
シオンの地に帰ろう、という運動です。
ちなみにシオンとはエルサレムにある丘のことだそうです。

でも比較的仲良く住んでいた時期でもあったそう。

しかしそれを中東戦争、パレスチナ問題に導いてしまったのがイギリスの三枚舌外交。

第1次世界対戦の折にアラブ人には「協力してくれたらアラブ人の国を作ってあげる」と約束して、もう一方でユダヤ人には「協力してくれたらユダヤ人の国を作ってあげる」と言います。さらにフランスには「第一次世界大戦に勝利したら東アラブをイギリスと分けっこしよ」と言っていたのです!!

本当にひどい!
こんな約束がなければここまで拗れることがなかったのに。この問題においてイギリスの罪は非常に重いですね真顔

さらに第二次世界大戦のころにドイツがユダヤ人の大虐殺を行ったこともあり、大勢のユダヤ人がイスラエルへ集結しはじめます。


大量のユダヤ人が押し寄せてくると元々住んでいたアラブ人は面白くないですよね。

でもユダヤ人もイギリスに国を作る約束をしてもらってるので引きません。

そこから泥沼になっていくパレスチナ問題なのです。


さらに色々なことが起こるのですが複雑すぎてそこまで書いてたらキリがないのでここらで切り上げます。


なので今のイスラエルには主にユダヤ人が住んでいて、パレスチナ人と呼ばれるアラブ人は「パレスチナ自治区」と呼ばれる小さな地区に住んでいます。

あの有名な「ガザ地区」もそのうちの1つです。

今日私たちが行ったヘブロンもそのパレスチナ自治区の中にあります。

エルサレムからバスを乗り継いで大体1時間半から2時間くらいでヘブロン到着。

思ったよりも都会で賑わっている街です。




道ではジュース売りのおじさんが陽気にジュースを売っています。
1シェケルでした。30円。安くて美味しい!!




街を歩いていると頭上にはフェンス。
これはイスラエル人が上の階からゴミや石を投げてくるのを防ぐためにあるんだそう。
汚水なんかも投げてくるらしい。


今でも毎日のように投げられるって市場のおじさんが言ってた。


パレスチナ側とイスラエル側を隔てる壁。有刺鉄線もかけられている。
ここまで案内してくれた地元の青年。
パレスチナを良くするためのボランティアと一緒に活動しているんだって。
日本のJICAの人とも一緒に働いてるらしい。

この奥には壁がある。
この付近には人の気配はほとんどない。


パレスチナとイスラエルを分けるチェックポイントと呼ばれる検問。
パスポートをチェックされる。
近くをうろうろしてると笑顔の感じがいい女性兵士に声をかけられて見てもいい場所を指定される。

兵士達の雰囲気はそんなに張り詰めている様子はなく明るく感じがいい人が多い印象。
それが逆に不思議な感じがする。
あくまでも外国人には関係なくてパレスチナ人(アラブ人)とイスラエル人(ユダヤ人)との問題なんだと言う感じ。パレスチナ人以外にはあっさりした対応をしてくる。


アブラハム・モスクの近くのチェックポイントを抜けると無人の街が出てきた。

ここは元々アラブ人の居住地だったのが、数年前にユダヤ人居住区にすると言うことでアラブ人が追い出されたそう。

その後ユダヤ人も住むことなく無人の街に。
無人の兵士詰め所。監視カメラつき。
人気の全くない通り。
一組の外国人旅行者を見かけたのみ。

パレスチナとイスラエルを分ける壁。
そして時々見かける兵士。
私たちには反応せず、横を挨拶して素通りする。



権利を主張するかのようにイスラエルの国旗が掲げられている。
でも誰も住まない。
嫌がらせのために奪った土地ということがよく分かる。

建物の上に座って監視するイスラエル人兵士。

挨拶すると手を降って応えてくれた。
「どこから来たの?」と言うから「ジャパン!」と答えて反対に「どこの出身?」って聞いた。
「ええっ?イスラエルだよ!」って笑って答えるから「知ってるー!(笑)」と笑いながらこちらも返す。

正直なところ、銃を持っている兵士とこんな気安く話せると思わなかったよ。




兵士の詰め所の前にいた二人のイスラエル人兵士。
どこから来たの?チャイナ?ジャパン?
と人懐こく話しかけてくる。
一緒に写真撮ってもいいか聞くと快諾してくれて、わざわざ帽子を被ってキメてくれた(笑)

ちなみにイスラエル人は武器の保持が許されているけど、パレスチナ人は武器の保持は禁止されているらしい。



怖いくらいの静寂の町並みを通りすぎるとまたチェックポイントがあった。

そこを通ると一番最初に見たような活気のある街に出た。

たった一枚の壁。
たったひとつのチェックポイントなのに全く違う世界が広がっている。

とても不思議でなんとも言えない気持ちになる。
こんなに明るく住んでいる人達も、いつ自分達の住み処が奪われるのか分からずに日々過ごしているのか。


街を案内してくれた青年が言っていた。

「ここの子供達には未来がない」
「人間としての権利や人生がない」

と。


それを聞いて思わず涙が溢れた。



私には想像も出来ない暮らしをしている人がいる。

あらゆる権利を奪われて自由に生きられない人がこの世界に実際に居て、そんな人生を一生懸命生きている。


話を聞いた時はただ悲しかったし、街を見たときは衝撃を受けるだけだったけど、帰りのバスのなかでぼんやりと考えていた。

私は日本人として生まれて全て自分で選択できる環境に生きている。

どのように生きるかを自分自身で決められる。

彼らのように自分の街から出るのに検問を通って身体検査や言いがかりをつけられて嫌がらせをされることもない。

出身で差別されて能力があるのに仕事に就けないわけでもない。

毎日兵士に監視されてるわけでもないし、家を追い出される恐怖を感じることもない。


そんな私が幸せに生きられないなんて絶対にない。
もうあってはならないレベル。

日本に住んでて、日本人で居て、不幸になんてなれないよ。
そんなことしたら申しわけ無さすぎる。



自分で自分の人生や幸せに責任を持って
自分の意思で幸せになる覚悟を持って
私を幸せにする選択をして
私を幸せにするために戦う


平和で豊かな日本に生まれたからには絶対に私を幸せにする!


パレスチナ問題には関係ないかもしれないけど、これが今私ができる最低限のことだと思った。





今あることに感謝して、
周りの人に感謝して、
自分を大切にして生きよう。


そんなことを考えたパレスチナ自治区でした。


実際に自分の目で見られて良かった。
機会があれば皆さんも是非!
パレスチナ人の青年も言っていました。
「世界中の人に現状を見てもらいたい」と。



では、明日は気分を変えて死海でプカプカ浮いてきまーす爆笑ルンルン

また!!