日本では「出る杭は打たれる」という風潮がある。(外国にもあるが日本はその傾向が強いと専門的にもよく言われる)
優れた人物をいじめて引きずり落とすということも盛んに行われている。
とくに「勉強のできるヤツ」に対しては
学校でも職場でも、必死に蹴り落とそうとする人が現れる。(おそらく無意識でやってるのだろう)
うちは公立一本の予定だけど、そういうことの対策として中学受験を考えるならアリだなと思ってしまう。
ところで、他人に才能を潰された人でも、大人になって
「〇〇のせいで自分は才能を潰された」などと発言していたらどうだろう。
香ばしいというか、イタイというか、「人のせいにするなよwお前が無能なだけだろw」
と思われるだけだろう。
Quoraという質問サイトで、「自分は他人に才能を潰されました。どうしたらいいでしょうか」みたいな質問があったが、
それについていた回答(複数)はこのようなものだった。
「才能の芽というのは、摘まれても摘まれても萌え出て来るものだと思います。本当に才能のある人はいくら潰されても、才能を開花させるものです」
執着を断ち切らせるためにあえて事実と異なることを言っているのかもしれないと一瞬思ったがおそらくそうではない。
これが多くの人の、才能についての考え方なのだろう。
多くの人は「他人に才能を潰された」と感じていたとしても、それを口に出すことは格好悪く、ますますバカにされるだけなので「自分が無能だっただけだ。元々この程度だったんだ」と納得しようとするだろう。
才能を潰された当事者が、このようにその事実を公にできないのだから、この問題が解決されないのも無理はない。
多くの人が結論づけているように、「本当に才能のある人はいくら潰されても、才能の芽が萌え出て来るので結局成功する。」「才能が潰されたという人は要は才能なんてなかったということ」ならば、問題などもとよりないのだろう。
しかし、本当にそうなのか。
渡辺茂夫という、天才バイオリニストを知っているだろうか。
この人は伝説的なバイオリンの神童と言われており、少年時代に彼の演奏はすでに完成されていた。
しかし周囲の妬み嫉み、不運な環境によってその才能を潰されたのだ。(もっともそれはアメリカでのことだったが、戦後間もない時期、敗戦国の日本人という微妙な立場であった)
この人を見て、「もとから才能がなかったのだ」と言えるだろうか。
私は日本では、才能の芽を持ちながらそれを開花させられなかった人、周囲の妬み、生物の本能的な生存競争に起因する無意識の攻撃等によって才能を潰されてしまった人がかなりいるのではないかと思っている。
専門的な分野、研究職などの雇用条件が悪いことも才能を開花させられない一因だろう。
私は過去に、日本における才能教育の可能性として、かつて流行していた「個性化教育」に着目していた。
これは現在では下火になってしまったが、素晴らしい教育法であると今も思っている。
現在、日本でもギフテッド教育が注目されるようになった。
しかし、私としてはギフテッドよりも、平凡な人々の才能の芽を潰さず花開かせること、そうした日本にしていくことが先ではないかと感じている。
それがそのまま、ギフテッドの支援にもなるのだから。
才能教育を一部の天才児だけでなく、すべての子どもたちが享受できるようにすべきであると私は思っている。