小さなお家だけど…
小学校1年から中学校1年(昭和35〜41年)まで住んでいた教員住宅
思い出せるうちに描いてみた。
造り酒屋が面するメインストリートから農林高校(父が勤めていた)まで登り坂(2・300mかな?)が続き、その中間、道が三方に分かれる処に小さな木造の教員住宅が2軒…坂を登って来ると板塀に囲まれた我が家が見える。(地図では赤色の家)
高校に続く家の前の道は大きくカーブする急坂になってた
その為雨の日など粘土質の道はグチャグチャになり、高校に通う学生達は難儀してた
靴もドロドロだっただろうな
冬になって雪が積もると帰りは大変だった
多くの学生は遠回りして安全な道を帰っただろうに
数名の学生が坂を降りてくる
が、滑るし怖くて降りられない女学生もいたっけ
中にはソリ滑りして遊んでる私達からソリを借りて滑り降りる学生もいたが、途中でひっくり返ったり雪山に突っ込むものもいた
そして、プール
夏休みには家の前のプールで遊んだ子供達も沢山遊んでいて楽しかった…近すぎて母親がすぐに呼びに来るのが難点だった
市営のプールだったのだろうか?
春にはカエルの卵が浮遊するようなコンクリート打ちっぱなしのプールが夏になるといつのまにか綺麗に掃除されてた
家で水着🩱に着替え浮き輪を持ってタッタッタとプールに行った
1分かからなかった
我が家のプールだもの❗️❗️
他の子達が川で遊んでた時代、我が家にはプールがあったのだ
小学校にプールが出来たのは六年生の時だった。川の事故があってのことだったと思う。
メインストリートから我が家までの上り坂!夜の恐いこと
左に神社、右は古井戸
古井戸の中には女の髪が浮いてる!なんて、よせば良いのに妄想しまくって余計に恐かったな
井戸を過ぎると右手はうっそうとした杉林の山。
その中腹には防空壕跡と噂の洞窟があった
思い出しただけでも恐いよ~
杉林では風呂の焚き付けに使うスギッパ(杉の葉)集めをした。
炭俵にギュウギュウ詰めて持っていった👌
今は花粉症で入っていけないかも!
昭和35年から5.6年、教員住宅での子供時代は懐かしく楽しいことが一杯だった。
思い出す度記録しよう❗️
さっ、今日はこれからバレトンとsintexだ💃90才になっても動ける身体目指して頑張るぞ~👊✨