心配しない訳にはいかないよね | 気力ゼロの私の日常

よく登園しぶりや不登校の子を持つ親に対するアドバイスで


「子供の登園、登校で親が一喜一憂しない」みたいなの見かけるし、このアドバイスの本質としては


「ありのままのあなたでいい、登園登校してるあなただから素晴らしいってわけではなくて、あなたはあなたのままでいいって私は認めてるよ」っていう、子供にとっての安心材料を伝えられるとベストだよね。って事だとは思うのだけど。


ただ、親として私はやはり心配しない訳にはいかないし一喜一憂してしまう。


やっぱり、笑顔で行ってきます、これしたよ、これが楽しかったよ、〇〇くん、ちゃんと〇〇して遊んだよって聞くのも嬉しいし楽しいし、

もちろん嫌な事があったときも、〇〇がいやだった、そっかそっかいやだったんだね、って共感したい。


行ってきます、行ってらっしゃいがスムーズな1日は私も4歳息子も気分がいい。


表面では明るく、行きたくない気持ちに共感しつつ、あの手この手を考えて送り出し、

それでも歯切れ悪く別れた後は

一日の中で今どうしてるかな?とごく自然に気にしてしまう。


笑顔で行った日には帰宅したら一緒にこれやろう、話聞けるかなってお迎えの時に思うのだけど


はぁ。今日は何言われんだろう。

またなにかやらかしたんだろうか。って

やっぱりズーンときてしまう。


私の機嫌が直結してるとかのアドバイスは

もっとズーンとくる。(されてないけど)


全部なんでも子供の事は私由来の事って言われてる気になってしまって、


私は喜怒哀楽すら出してはいけないのか、

むしろ喜、楽しか出したらいけないのか、

って気持ちがかなり窮屈だ。


私だってイライラしたくないけど365日笑ってられる程の人間では無いし、全て無に、フラットに生きれるマインドには達して無い悲しい


私にイライラするなと言うならば

逆に私のイライラに左右されるなよ、とすら思ってしまう。


〇〇ハラスメント、みたいな次から次へとうみだされる日本特有のハラスメントごとうざい。


話が逸れたけどシンプルに、子供のベストを探って疲れる事あるよねって事。知らんぷりや他力本願できないもん。


アドバイスを頂きつつ、少しづつ進むしか無いけどね。