占い師をしている人は
壮絶な人生を送っている人が多い・・・・
そんな印象を持っています![]()
私、文月みつる は「占い師」をしていますが、
それほど、壮絶な人生ではありません
そんな私が「占い師」を名乗ってもいいのか・・・
たいした苦労もせず、社会でも普通にやってきて
相談者さんのお悩みに寄り添い
解決に導いていけるのだろうか、、
そういう疑問をずっと感じています
☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・☆
わたし、文月みつる は、
普通の会社員の父と専業主婦の母
3人兄弟の第一子として生まれました
小さなころから感受性が強く
そのうえ、妄想癖があり
夢と現実がよく分からない
そんな、不思議ちゃんでした
父は、子どもである私に対して
なんでも教えてくれるステキな人だった
幼稚園のとき、アポロ11号が月から帰ってきた
一緒にテレビで観ていて、いろいろと説明してくれた
月から帰ってくると
ひとりで歩けなくなるらしい
そんなこと小さな子どもに話しても
理解できるわけないのに
理解できるように楽しそうに話してくれた
好奇心が旺盛だった私にとっては
とっても大好きな父だった
その父が、6年生の時
くも膜下出血という病気になった
脳の血管が切れて出血してしまうものらしい
助からないと言われたのに
奇跡的に手術が成功した
ところが、生還した父は
以前の父ではなかった
人が変わってしまった💦
陰鬱で理屈っぽくなり、お酒におぼれて
アルコール依存症になってしまった
わたしは、ちょうど思春期になり
そんな父を見るのがつらくて
「お酒をやめてほしい」と何度も訴えた
けれど、本人には響かない
家のお金を持ち出しては、
酒屋にいき、お酒を飲む
そんな毎日だった
道端で倒れて、何度迎えに行っただろう
そのたびに、情けなくて
父に対して憎悪が増していく
大好きだった父を憎む
早く、いなくなればいいのに
そんな自分が、一番嫌いだった
*・゜゜・*・。。・*・゜゜・*・。
時が流れて、わたしは就職
社会人となった
会社であれこれ経験すると
父が感じていた辛さやるせなさが
何となく理解できて
父に対する憎しみは、小さくなった
いろいろ大人の事情でつらかったんだ
でも、それでも
私たち家族を泣かせないで欲しかったな~
という気持ちはぬぐえなかった
その後、父は、脳梗塞になり、半身まひになり、
結局、50代半ばで動けなくなり、入院
寝返りも一人ではできない、話もできない
今でいう要介護5となり、
父の介護は、母がメインで、わたしたち兄弟も協力した
そして、63才で亡くなった
25年前のお話
お葬式が終わったとき
新聞のお悔やみ欄をみた
父の同僚だった方々が来てくださった
みなさん、父に感謝していた
え?お酒飲んで、会社の方々にも迷惑かけていたのに?
って びっくりしたけど お話を伺うと
みなさん、県外の親元から離れて会社に就職
当時は、今のようにコンビニも何もない時代
さみしくて孤独を感じていたらしい
そんなとき、「家においで」って
父が声をかけてきたんだって
家に来て、母がご飯を作って
食べさせていたんだって
そういえば、子どものころ家には、
いっぱい、人が集まっていたな・・・
父がいたから、つらい仕事も頑張れたんだって
また、父は、実家に仕送りとかしていたらしい
母親を小さいころに亡くし、苦労して、
自分の弟たちも会社に紹介して就職させたみたいだし
父の人生、自分のために楽しんだことはあったのかな
そう思うと、ちょっとおセンチになります
父がどう思っていたのかは分からないけど
わたしは、父と観たアポロ11号の映像や
一緒に行った、お散歩での夕焼けは
忘れられないホッコリする思い出
父が亡くなって、介護が下手だった私は、
すぐにヘルパー2級の講習会に参加
資格を習得しました
それが、義父の介護にも役立った
*・゜゜・*・。。・*・゜゜・*・。
家族の人生は、それなりに壮絶
父を見捨てず支えていた母も壮絶
お盆に実家で集まったとき
父の話をしました
弟が、壮絶だったねって話していました
人生いろいろありますね
過ぎてしまうと
どんなこともキラキラして
ちょっと、ズルいな☆
*・゜゜・*・。。・*・゜゜・*・。
私、文月みつる は、壮絶な人生ではありません
でも、だからこそ、
いろいろな人々の経験談を聴く
本もたくさん読む、ブログも読む
そして、妄想癖を使い倒しています
こんな占い師もいます☆
*・゜゜・*・。。・*・゜゜・*・。
*・゜゜・*・。。・*・゜゜・*・。

