You Tube動画で我が青春を見つける
 
 
 我が青春は、振り返ればもう昔々半世紀を越える一コマである

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  時は、昭和39年(1964年)前後の東京オリンピックが開催され新幹線が開通でまさに日本経済が高度成長期へ突き進もうとする時代で娯楽はまだ昭和の映画史黄金期から斜陽化が始まった言え映画が主力で駅前など人が集まる処には必ず映画館があった
 
 1960年代の我が想い出ある東宝撮影所クレージー映画若大将シリーズでヒットを飛ばしてまた、社長シリーズ駅前シリーズ等や円谷特撮監督、黒沢監督等が活躍して撮影所では毎日4~6本が“よう~い、スタートのカチンコ”鳴っていた時代である。
 
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      下矢印上記動画の最後曲の「夢見るころ」唄うは高石かつ枝です。

            

 たまたま下宿近間に砧宝撮影所ありそのアルバイト経験が、北国田舎育ちの生涯忘れえぬ我が青春の想い出の一コマが今回の投稿である。
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               アップ 右ポスター中央の右側が南弘子

  撮影所のアルバイトも数あるが我輩の任務は火器(煙草など)、消音対策、ロケ先での通行人対策、セットの監視員などと呼ばれていたが、一口に言うと何々組の雑用係である。
 勿論楽しみは、キラ星の銀幕のスターに逢える事であった。
 今回の投稿は凡そ50年前、内藤洋子、酒井和歌子などニューフェース女優が出た時代で添付写真の女優南弘子との記念写真の想い出がYou Tube動画で高石かつ枝主演「林檎の花咲く町」の中に女学生として出演いる動画発見して今回のブログ掲載の動機となった。      イメージ 6
女優南弘子お姐ちゃんシリーズ最終 回の「お姐ちゃん三代記」他に出演したがその後各映画会社、テレビ界に活躍の場を求めたが代表作が無いまま03年に逝去されてるようだ。
しかし、吾輩は今では白髪、眼鏡、メタボに6度目年男爺に変化済みであるが、最近動画で同時代の新人南弘子が女優の夢に向かい青春を謳歌してる姿を発見し我が青春の想い出に重なり投稿をしました
そうして東宝で数少ない青春歌謡映画下記の「林檎の花咲く町」1963制作に二三度関わり男優長谷川明夫らとロケに行った想い出が最近沸々と思い出されます。
 
  ダウン当時の東宝若手女優陣 左端新人南弘子