内容とは関係ない、

愛犬が大好きな公園を隅々まで散歩していた頃💕

 

母という人。

若い頃の写真は、ハリウッド女優の様な美人。

でも物心がついた頃からずっと太ったまま。

 

子育てはあんまり興味ない母。

教育と躾は主に父がしていた。

 

母は戦後の混乱と好景気を何とか乗り切り、

父と立ち上げた会社を日々休まず働いて来た。 

 

住み込みの従業員、姑、子供の世話と家事、

会社経営と身を粉にし会社の向上の為に

頑張り抜いた人。

 

当然、従業員の人望は厚く、同業者からも信頼

されていた。

 

その間、父は選挙応援と会合、宴会に従事??し、

会社経営には無頓着の人。

母の切り盛りは相当大変だっただろう。

父が会社から持ち出した金を、従業員の給料と福利に

廻せばどれだけ従業員が支持し、退職しなかった

だろう。

 

追い出された母は、その後一年位で新しい男性と

同棲、入籍。

母が引っ越す度に弟と二人、外回りの従業員に

連れて行かれた。

 

母の荷物は少なく質素な生活に、涙を堪えていた

記憶がある。その当時の母は随分痩せていた。

 

あれだけ会社の為に働いた母がこんな仕打ちを、

父から受けているのか!

子供だった私は、いつか母が戻って来てくれる

と信じて待っていた。

 

続きは、またーー。

 

内容とは関係ない、愛犬と牧場へ行った時の写真。

暑かったのかなあ?カワユス💕

 

父の引き出しを片付けていたら、

手帳が出て来た。

その内容、

継母が骨折して長期入院中の様子。

毎日1時間半位掛けて病院に行っていた。

 

継母がリハビリが痛いと泣くと

父も泣く、ガンバレ。

その様な日々の状況を日記に残していた。

継母を労り励まし支えている内容。

 

この手帳を見て思う事。

一滴も涙が出ない。

怒りしかない。

何故か?

母をこの欠片でも大切にし、感謝すべきだった。

母が会社を切り盛りし社員の信頼も厚く、

戦後の好景気に乗り何とか経営していた。

 

母が追い出されてから、

私達兄妹はそれぞれが精神を病み、

自身と戦っていた。

 

四十九日を前に嫌な過去ばっかり思い出すが、

母の家庭を顧みない行動が、父に追い出された

のだからどっちもどっちだ。

 

それでも、父が無事に天空に行ける事を

祈る日々。

父には父の言い分があるだろう。

戦前戦後と激動の時代を、生き抜いた人にしか

分からない苦難があっただろう。

 

 では、またーー。

 

 

 

 

ボチボチ片付けを始めました。

継母と父のタンスは、

どういう訳かゴキのフンだらけ。

洋服ダンスや整理ダンス、

どれも物凄い量のフン。

食品が入っていないのに何故?

 

父が見ている前でも以前片付けた。

父は何か無くなっていると人の所為に

すると兄が言っていたので、

必ず目の前で整理整頓、衣替え等をしていた。

 

看取った今、タンスや棚の中を少しずつ

整理し処分している。

 

今日は継母の花嫁家具の整理ダンスを

処分する事になり、中身を全部出した。

むかーしの張りぼてのベニヤ板の家具。

男性だったら一人で持って車まで運べる軽さ。

 

父はそれを大事に使っていた。

でももういらないので主人が壊して運ぶらしい。

ゴメン、の気持ちもあるが徐々に片付けて

私達の家具を業者に頼んで降ろさなくては

ならないかも。

 

2階には寝室と居間、食卓と台所の家具が

10畳半に1㎝の隙間もなく配置してある。

12畳あると思っていたので、10畳半で

配置に大変苦労した。パズルのようだった。

今現在は、この狭さがワンルームマンションの

様で直ぐ手が届く快適さに満足してしまっている。

 

父を看取ってから、涙が溢れるという事が無い。

何故か?

父の会社の事務をやっていた18年前、

酷い扱いを受けた事を思い出し、生活困窮の

思い出がよぎる。

父は我が子でも社員になると、冷酷、低賃金、

反論せず社長に尽くす事を望む人。

 

しかし、辞めて10年位したら私の自宅に

ひょっこり現れ、それからはまた交流がある。

 

延命治療をし、ほぼ点滴のみの入院生活。

がん患者の様にやせ細り、可哀想な事をしたと

思わずには入られない。

 

どの治療が良かったのか?

何をすれば良かったのか?

医師ではない身としては、答えが出ない。

今はこの世界にまだいるでしょうから、

安らかに天空にたどり着けるように

なる事を祈る。

 

  では、またーーー。