日本を代表する桐紋と菊紋
サンプルとして残っている古い社章、勲章、校章を見ていると家紋がデザインの一部に使われていることに気づきます。なぜこの学校はこの家紋を使うのだろう? その理由や歴史的背景がわかってくるとなかなか興味深いです。現在もデザインで五三の桐紋や16枚ではない菊紋を描くことがありますのでこれらの家紋について少し調べてみました。
今回は日本を代表する家紋として特に有名な桐紋と菊紋についてご紹介します。
家紋5種 肉彫り 石目入り
豊臣秀吉と天皇家
まずは桐紋です。意識していないとあまり気づきませんが、おそらく誰もが一度は見ているはずです。桐紋は天下統一を果たした豊臣秀吉が家紋にしていたことで有名です。桐紋はのちほどご紹介する菊紋とともに天皇家の家紋ですが、桐紋は後陽成天皇から豊臣秀吉に与えられています。
「桐」というのは、中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていました。そのため昔から神聖なものとして扱われていたそうです。こうした風習が日本にも伝わり、皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていたそうです。
桐紋にもいろいろなバリエーションがありますが、有名なものは図の五三桐(ごさんのきり)と五七桐(ごしちのきり)です。
五三と五七。この数字の意味は家紋のなかにある花の数を示しています。
五三桐は花の数が 3、5、3と並んでいます。また五七桐は花の数が5、7、5と並んでいます。
日本政府の家紋もこの桐紋で、政府の紋章は五七の桐、法務省や皇宮警察の紋章は「五三の桐」です。桐紋が天皇家の副紋であること、豊臣秀吉が朝廷から桐紋をさずかったように政権の家紋という意味合いがありそうです。
菊紋の花びらを数える癖
つづいて菊花紋章(菊紋)です。警視庁の徽章や国会議員の議員バッジ、また競馬レース菊花賞にもこの菊紋が使用されています。
じつはこの菊紋は花びらの数とデザインがとても繊細かつ重要で気をつけないといけません。
菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である十六八重表菊は日本の天皇および皇室をあらわす紋章です。
「十六八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、1869年(明治2年)8月25日の太政官布告第802号による。親王家の菊花紋として十六葉の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることとした。また、1871年(明治4年)6月17日の太政官布告第285号で、皇族以外の菊花紋の使用が禁止され、同第286号で、皇族家紋の雛形として十四一重裏菊が定められた。その後、1926年(大正15年)に制定された皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第12条[4]、第13条[5] によって正式に定められている。(Wikipedia)
十六八重表菊は天皇家のみがお使いになられる家紋です。ですのでこれらをあるブランドのロゴや商品の一部に使用することはできません。ちなみに日本国のパスポートは簡略化された十六弁一重表菊紋となっています。
サカモトもお客様からデザインを送っていただいたさいに16菊紋が入っている場合は、お客様にその理由をお聞きして、場合によっては一部デザインを変更していただくか、製作をお断りさせていただいております。
そのため私たちは菊紋をみたときに花びらの数を数える癖があります。
十六八重表菊紋
十六弁一重表菊紋
明治硬貨にも十六菊
パスポートや議員バッジなど現代に残る家紋、次回は戦国武将の家紋にもふれていければと思います。
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