喜ばれる元気な教育へ | 彩希 ユキノの花舟@微笑℃ルーム
 
 無風で雨が降っている今日です。

2000年を越した頃の小学校の話で
週休2日でゆとり教育が始まる動きで
先生も1クラスに二人になる頃。

あらゆる小中学校のガラスが割れるという事がたくさん起きた。

そして、校門には鍵をかけられ、緊張があった。

時の文部省大臣より、じきじきにプリント文章が小学校保護者宛てに指導が1枚1枚配られた。

なぜ、校長や地域の教育委員会を飛び越えて、大臣から、という手紙をみんなで受け止めた。

なぜ、ガラスが割られていく意味は未だに解らないこと。

ゆとりがゆとり世代でない上の世代の余力エネルギーになったのかと勝手に空想はするが解らない謎なのである。

その辺りから、心配な父母やマスコミに対して打開策としてすぐ教育特区で国で政策をたて対策実行を始めたと新聞にあったと思う。

国は、日本に住む人の子供の安心な教育の政策に着手して答えたのだと思っていた。

その通り成功して今も機能しているとニュースは伝えている。

私は教育特区とはそのように不安な保護者に対して国が政策救済をすぐ実行したものと記憶している。

その中のひとつの政策が
後の今にずいぶんな失策と評価される批判する複雑な反組織の意味が解らない。

国民のためと地方を抜いて国が直轄に至った話だった。国のひとり相撲が見え、地方の理解回りの理解を欠いて国民一人一人、びっくりした事でしょうか?
みんなの周知、合意、国の意志の記憶がちゃんとあったとしたら、今は混乱してないように思える。

知らない人も多いと思う。小学校の地震補強対策、トイレの洋式問題はみんなの周知があった。教育特区は私が触れていいことかが解らないような事であるが
今、とても大事な事に思う。

その批判する人はちゃんとその時の新聞を読んでいた、いない、どちらでしょうか?国の身近な部署の周知合意がどうだったのか?

少なくも私は私たちの子供の教育に尽力されたと私は覚えている。

ただ学校より国からの直接の手紙には、
有りがたいのだろうが初めてでびっくりした。回りを気をつけるようにしないと注意喚起だったのか。

今、ガラスが割られる話を聞かない。
学校の校門は閉まっているが一時のようなうわさは聞かなくなった。


小さな頃に春日一幸という政治家の「人を飢えさせてはいかんのだ」という言葉
だと思うが頭に響く。
飽食までに守られたような気がする。
小さな頃だから、思い違いもあるかも。そのくらい政治家と地域の信頼はつながっていた時代がなかったとは言わない。