1970年代 学生運動が激しかった頃、
テレビに東京での学生と機動隊のもみあい、
火炎瓶とかゲバ棒とかNEWSの映像はそれは
うるさいほど毎日のように放映されていた。
と同時にアニメも流れていて、「ジャングル大帝」「巨人の星」が終わって
やっぱり「あしたのジョー」だと思う。
今 ゲバ棒やバリケード、学生と警備隊のもみあいの映像はNEWSでは過去の映像でしか見ない。
ずいぶん変わったということでしょう。
その頃の政治家は
自分を犠牲にして政治に奔走していた。
みんなは必至で日本を経財界と共に世界のトップに
なるようにしていくリーダーたちを信頼して
政治家の身持ちのよくなる境遇の保障を認めていたように新聞メディアでそう理解していたと思う。
いつごろからか
自分がない人生がつまり「お客様は神様です」という
流行り言葉がうすくなり、人に尽くすことがすべてという観念もうすくなってきたときに
政治家と政治が弱くなって疑問に思う人が多くなったと思う。
不思議なのは政治家がしっかりしていた頃、
日本は、みんな税金の話が解らない人が多かった。
でも政治家が弱くなり、グローバル化が進むにつれ、日本という境界を意識したり国歌を強く大切に思うようになった人もいる。
日本はいよいよ大陸とつながり、島国安全論は少しづつ消えていきつつあるのではないか?
家庭生活の根幹である行政政治は親密な関係なはずである。
町内会がいろいろな交通の発達、転勤、アパート、マンションなどでコミュニティの力が弱くなったということもひとつでしょう。
東京タワーが出来て50年以上の日本は
ゴジラが現れたり、ウルトラマンが生まれたり、して以来
ずいぶん、多くのシーンを重ねて変わらないし、変わってきたと言えよう。
まったく同じ土地でもずいぶんたくさんの何かが変わったということでしょう。
もう少し前だと着物に袴、もっと歴史をもどれば刀で殺し合いがあったという。
首相に多くの権限があると聞いた。
だから、直接、首相にすべてを聞くことが多いこのごろ、昔はなかったと思う。
大蔵大臣、農政大臣、たくさんの側近がちゃんと動いていた頃もあったように思う。
何しろ、佐藤栄作首相が
テレビに映ったときの感激は家族みんな感慨深いものに近かったと思いだす。
それでも政治家はとドヤされるのかもしれない。
いつの世にも貧しい人は生まれ、さまざまな想いの
人と時代を同居、シェアしています。
どうか、イイ関係でみんなの未来を少しでも構築されることを望んでいる。