大島宇吉と小幡が原飛行場 昭和初期の苦難について | 彩希 ユキノの花舟@微笑℃ルーム
もうずっと前から気になる話を抱えています。


○中日新聞 大島宇吉と小幡が原飛行場 明治、昭和初期の苦難とロマンスについて



1886年(明治19年)3月 - 前身となる無題号創刊
1888年(明治21年)7月 - 大島宇吉により創刊
1933年(昭和8年)5月1日 - 東京の國民新聞を譲り受け。(國民新聞は昭和17年に都新聞と合併し「東京新聞」になる)
1936年(昭和11年)1月 - 名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)を結成。
1942年(昭和17年)9月 - 名古屋新聞社と合併し、株式会社中部日本新聞社設立。日刊紙「中部日本新聞」創刊。
これはウキぺディアからです。


とっても興味があります。


この時代の人の苦難と葛藤と生きる喜びと
活字の意味を知りたいと思います。



特攻隊
空襲
防空壕

何故
若い命がはかなく消えて
いったのでしょう。

図書館に行ってみたり
父に話を聞いて見たり
したいと思っています。

ふるさとでもあります。


実家の前は小幡が原飛行場だったこと。
近くに大島の家が静かに建っていたということ
など。

私たちはそこの地域の土壌でそだったこと。






名古屋空港に向かう飛行機は
6歳のときにペンに見えました。


私は 『色どりの街』の一番を始めを
原稿用紙に膨大に残っていて
それをこのことと思っています。

<『色どりの街』の最初の書き込みとは実は「おいでよどうぶつの森」
の掲示版で書き込みをしていて、途中でヤフーにうつりました。なので
ここには途中からになっています。>

娘のために買ったゲームに
何故か私が私の思い出を書き出したということで
ゲームの掲示版から始まったということです。


あしたさくこのかきだしは別に前から持っていて 
12歳 13歳ころに何度も何度も初めては止まったものを
やっとまとめたものです。




と今年はドラゴンズがんばってくださいね。


<山井が打たれて
大島洋平さんがフライを受け止めたところですぅ~。
偶然かな?大島選手がいるのですね。今3対2~、ガンバレ!>