公営と民営と民営化をひとつの家庭から考えてみた(エッセイ) レインボーローズ:RR | 彩希 ユキノの花舟@微笑℃ルーム
 
 
 しばらく前は、政治や税金の話を日本の人は、あまり理解がないとよく批判されていたと思う。旅行やファッション、グルメ、テレビ、音楽に興味があっても、紛争のある外国の人と比較されるとはっきりしていた。高度成長期と言われ、水道、電気、ガス、車、鉄道などがだんだん便利になり、様々なところで豊かになっていった時が昭和中期以降である。
「一億総白痴化時代」と言われた時もあった。政治や日本全体、家族よりもテレビや雑誌の中で繰り広げられる出来事に一喜一憂する人が多かった。核家族が増えたし、「カラスの勝手でしょ」なんて流行語も流行り、「欲しがりません。勝つまでは」と言われていた頃から、個人の自由や言論の自由が言われ、主張出来るようになったと思う。人が日本への関心が薄くなるというも嘆きもあったと思う。でも、それは反対に考えれば、多くの生活のための便利な話や道具がより賢明な技術者たちに発明、支えられ、カメラでいえば、インスタントカメラのように押すだけでも写るというようなありがたいことである。たくさんのそのようなことにささえられてもらえることが出来、食べるものに困ることも少なく、大きな政治の紛争に飲み込まれず、大きな災害にも見舞われずに、比較的おだやかな「平和」という時代を中級の「普通の人々」が暮らせたありがたい数十年であったのだと思う。
だから、給料引きであるかなり高額な所得税や市民税の数字はドキッと気になるのだが手取りの数字の方が、どちらかというと多いとはいえなくても魅力的で身近に感じられた。
給料引きである税金が何に使われているのか明細を個人に配っていただけると納得もいくこともあると思う。町内会や区や市の収支までは身近な広報で見ることはできるが県や国の収支もぜひ国民県民として収納している一人一人によく理解される方法で広報をお願いしたいと思う。年金は一年に一度、個人あてに「年金定期便」が届くようになった。
高額な所得税、市民税に加えてまた、消費税が増えるという。悩める問題である。
消費税を納入するなら、何に使ったかを何かの明細でいいから個人に届くと社会参加も活発になるのではないかと思う。
さて、学校の社会の授業で「三公社五現業」という言葉を教えてもらった。日本の大切な事だと教えてもらったと思う。三公社は、日本専売公社(たばこ)、日本国有鉄道(国鉄)、日本電信電話公社(電電)、五現業は、国有林野、印刷(日本銀行券や郵便はがき等の印刷の事業)、造幣、アルコール専売だそうだ。五現業の事業内容について私はあまり詳しくはないので内容については、機会があれば調べてみたいと思う。
公営が民営と一緒に経済を引っ張っていき、みんなの生活に合ってものだと思うが、今はやり玉で解体を余儀なくされて大きな葛藤とうねりの中で民営化ということに変わってきたのだから、びっくりしている。市で物々交換の話を歴史で習っているから、時の流れというものはそういうものなのだと思う。
今は、タバコが病気の原因となり、あんなに楽しそうに煙草に火をつけてドーナツの煙をふかせた父親は見かけない。「ポパイ」の再放送は見たことがない。おまけに【害がありますがいかがですか】というような雑誌の広告となっている。「エッ」と思った。
線路のそばに民家があっても、安心安全で時刻がしっかり正確な国鉄はJRとなった。新幹線「のぞみ」が増発して走るようになったように、他の主要路線も速さや増発を競っている。開かずの踏切が出来るまでなり、踏切事故も起きて、肝心の安心安全の電車が様々な事故の知らせが届く。リストラが進み、できるかぎり少人数で運営されている。個人的にはバスも電車も車掌がいた頃が好きだ。地下鉄に車掌がにこやかに乗っていたら、痴漢裁判やサリン事件は起きないでいたのではないと思うのは私だけだろうか?
又、高齢者や子供たちの移動のヘルプに車掌がいれば未来は明るいと思う。就職難だというが仕事や職種を作って欲しいとも思っている。
日本電電もNTTとなり、民営化となる。電話という通信手段は、携帯電話が身近となっている。電話も二つ三つを持てる民営になった今、一つが切れたとしても連絡は安心ができる。でも複雑な料金体系やサービスには悩まされる。
他にも学校も校長先生が民間から呼ばれたりもしたようだ。稼ぐ子を育てるためだと早くから学業よりも就職体験が学校で活発になった。学校に入ったばかりなのに卒業後の進路をすぐに探すみたいに追われて仕方がないのだが居心地のいいとは言えない勧めを感じた。
小学生のころは学校で商標名を言ったら止められたりしたこともあったが最近は市役所を会社とまで呼ぶ声もテレビから聞こえてきた。そして、みんなの税金で払っている市役所に個別の広告をつけてもいいものかと思うくらいまで民営化が進んでいるが、何かを失っていくことをもう一度冷静に考えることも大切だと思うことがある。選別の業者の市役所でなく市民全部の市役所だということは忘れないことが大事だと思う。
公営で安く施設を利用できることが論争を呼び、解体も進んだ。民営の施設を選ぶのも安い公共施設を選ぶ選択は、少しは残ってもいいと学生のことを考えるとそう思う。若い人に割安で旅行を体験してほしいと私は思っている。
こうして少し生きてきた時代を思い返すと公営と言われてきたタバコは残念ながら、健康から離れたものになり、「線路は続くよ」どこまでもの電車は狭い日本には限界があり、電話にたくさんの人が集まって数社と競争になり、ものづくりの先端の技術・機械はあえて雇用を減らした。そして戦後の団塊の世代の人口より、少ない人口数を産み、ニート・不労者・アラフォーなどと称される未婚の多い世代が出来てきたのかも?しれない。
その時代の経過とは、歳入の減収につながっているということなのでしょうか?
減っていく歳入の中での公共サービスを悪くも良くもこの先の運営のことをひとりひとりみんなで考えることも大切だと思った。
国会で眠ってしまうような議員に私たちが無理をさせてはいないだろうか?
批判ばかり、ぶつけていないだろうか?
人ひとり、誰でもいきいきされている姿を見るのは私はうれしいと思う。つまずいても悩んでもメガティブに冷静な判断をし、アクティブに光りをひとつずつ探していきましょう。
みんなの幸せを考える時ではないでしょうか?
 
昭和中期生まれの私は、節約の公営と華やかな民営と多くの公営の民営化の流れの時を受け入れながら、暮らしてきた。
ごく最近の身近な民営委託はゴミ収集がある。
「アッ! 行っちゃった」
きっちり、朝、八時半にゴミ収集車が来るようになった。それまでのんびりとしていた家のまわりの人は、収集の時間に間に合うに走るようになった。それで、遅れてしまった人はためいきをついている。どうしても病気などで出せない人はゴミ収集所に相談すると 相談に乗ってくれるようだ。ゴミもなるべく出さない努力も必要だ。しかし、こんなにゴミの多い最近では、民間委託は早い収集で頼もしいと思っている。
民営で能力があり、豊かになれる人もあるが、出来ない人も出来なくなくなる人もいると思う。公営と民営を活かした社会であってほしいと思う。公営と民営を間違えないようにするべきだと思う。私の家庭はこれからも民営も公営も大切だと思っている。
いずれにしても一番身近な家庭生活の根幹である空気のように大切なことだとも思っている。
人は自然に生まれ、ごく自然に生活し、迷ったとしても幸せを目指すべきである。
                                  
 
 
                               詩季子
 
  「頼りないひとつの家庭から、まとめていただける人たちに」